心境など

2012

20121007

 

 会社を完全に離れ、他に仕事もできそうにないとなると、親族は母のみ、その母も「アイリス清心園」という老人ホームにて老後を養っているのみ、他の親族もない私は、今後たった一人で「死」と直面し続けていかねばならない。

 しなければならないことを無理にでも仕立て、さもそれが大変かのように回避したりサボったりしながら日を送る。部屋の掃除、庭の手入れ、爪切り…その気になればすぐにでも終わることを、週間・月間・年間と予定を立てて、しかも遅滞する。

 それらをやっても、対外的には何ら変化はない。今までやっていた仕事のように、対人接触・報酬・社会への何らかの貢献などは一切ないのだ。

 しかし何かをしなければ、「生きがい」がない。生きる希望がない。生きる意味が僅かでもほしい。

 

 

 自分の意思と関わりなく拘束されて死ぬことは絶対にいやだ。昨年2011年7月、脳梗塞で右半身不全となり、MRI検査を受けた。まだ右手を自分の意思で持ち上げることができない状態であったのに、検査のために数分間身体が検査用自動可動ベッドに固定される、そのことが怖くてたまらないのだ。健常時なら何でもないことが、不安でたまらない。ベッドに拘束されること、エレベーターに乗ること…。エレベーターのドアが閉まるとそれだけで閉じ込められた気になる。健常時の私は閉所も高所も平気だった、むしろ好きだった。東尋坊のような断崖か好き、品川駅前のプリンスホテル17階建ての屋上パラペットを何もつかまらずに歩き、京急のホームにいる乗客に手を振ることが大好きだった。なのに発症後しばらくは、パニック症候群のようにすべてが不安になった。

 

 

脳梗塞で、老化で、すでに自由とは言えない体になっている人間を、「ご自身の安全のため」などの表向き理由、内実は万一の際の責任を避けるという管理上の理由で、僅かに残った自由を制限するということは、被制限者に重い刑罰を与えることである。

 

アイリス清心園にいる母が、先月転倒して明野中央病院に入院、大腿部骨折の手術とリハビリを行ったが、車いす使用時にブレーキを固定せず立ち上がろうとすることがあったため、ナースが安全ベルトで立ち上がりを防いだそうだ。つまり拘束具で車いすに身体を固定したわけだ。

なお、母は頭脳明晰で、老いてなお衰えず、脳トレや各種パズルを得意とする人間で、私が思うにJOKEとして大腿部骨折を忘れたふりをして見せようとしたというのが真相だろう。

ところが病院はその冗談にほほえみではなく刑罰を返した。本日、平成24年10月16日(火)病院から電話があり、ここ数日、母に不穏な動きがあってアイリスとの話し合いで退院となったと短く通知してきた。”不穏な動き”を問うと、タオルを首に巻き付けたり、ベランダから飛び降りようとしたと言うのだ。それは拘束されたことへの抗議か、拘束されたことでパニック症候群を引き起こしたかに違いないと病院に告げ、一応ともかく礼を言って受話器を置いた。

私自身、竹川病院に転院したとき病室から出てはいけないと言われてパニックになった。

 

今、この文を書いているのに眠気に襲われた。退院後のこの一年、毎日8時間近く睡眠をとっている。健常時、あの不規則な生活での平均睡眠時間はおそらく5時間弱。今は寝過ぎるくらい寝ているのに眠い。やる気が薄れ睡眠欲だけは増して衰えて穏やかに逝くのか。ならばそれもいい。

 

 

 

 

 

 

 

20121017

健常者の頃、退職は より自分に合った次の仕事へのステップであり、もともとモラトリアムな人生の中のモラトリアム、劇中劇の自由さ、楽しい部分があったことは否めない。

 脳梗塞となり、歩くこと、手を使う作業、電話応対他「話す」行為、それらすべてが不全である今、再就職先があるとは思えない。「次の職場」という言葉が私の辞書から消えたのである。この退職は私の社会生活の終わり、少なくとも大きな一区切りである。

 

 死というものについて、近づいたなと感じるとき、それは今までのように重いものではなくなっていた。人の命が地球より重くても、私の命はスイカほどのものだろう。死ぬ際に物理的苦痛が伴わないのなら、今の私はいつ死んでも素直に受け入れられる。決して死にたいのではない。生きたいと思う強さが弱まり、どちらでもいいという感じなのだ。だから好ましくない日々が続くよりは、静かな死を望む。穏やかに楽しく死を迎えたいだけなのだ。

 

 普通の生活をしていれば、いろいろすべきことしたいことが積み重なって、死と向き合うことは少ない。何もなせなくなった今、向き合っているのだが向き合う必要もないくらい近しいものになったんじゃないかな。

 

 一番恐れているのは「不本意な生息」。安らかさ、静けさなどからほど遠い死。これ以上、身体が不自由になったり、何らかの理由で意思に反する何らかの拘束をされたり、痛みや苦しみを伴うことなど。それが確定し、再び自由に散歩できないのであれば、私は速やかな死を望む。

 

 なぜか眠気が抜けない。歩いているうちはともかく、帰って座るとすぐ眠くなる。朝昼晩、時間関係なしに。こうやって眠ったまま死ねればいいのに。もう眠い。書きたいことはうんとあり、歩きながらいろいろ思いついたりしているが、座ると手が動かず、眠気だけが増してくる。まだ外が明るい時間なら、また歩くしかない。

 

 母が亡くなったら、もはや誰一人「私」を生きる目安のひとつにしている人間はいなくなる。ひとりとして親類すらない。そして自分自身、生に対する執着はない。あとはきっかけと方法。

 

 今のこの体では、どこかで働くことなど思いもよらない。もし私が採用担当者であれば、私を採用することなど一顧にも及ばない。

 これ以上回復が望めないなら、後は年金と貯蓄、その年金も10年以上早いリタイアと10数年という未納期間が影響し微々たるもの。未納期間は職探しや年金・保険は自主納金の職であった期間である。六五歳まで働き、未納期間分の7割以上を回復、88パーセント以上の支給率予定だったのだが、55歳リタイアでは60パーセント支給率がやっと(国民年金は六〇歳まで納めても・だ)。将来受ける年金額より生活保護の金額が遙かに勝る。

 

 なにか少しでも生活費を稼げる方法はないのだろうか。少しでも仕事ができないか。まだ自由に散歩ができる体なのに。

 

 

20121031

 まあ、いろいろ考えるのだが、死ぬ勇気がない。それなら何か、生きる目標を持たなければならない。この体ではそれもなかなか見つからない。もう少し回復すること、もう少し自由に散歩できること、これくらいを目標とするしかない。

 

 外食できるようになること。つまり箸が使えること。結構大きい目標だ。入院中からずっと願ってきたが、少しは目標に近づいているのだろうか。

 

 それから、「あいうえお」と言っても『外れない入れ歯』。注文のたび、歯が外れては話にならない《歯なし》。

 歯はコンフォート義歯が良さそうだが、2~3年ごとに2~30万円かかる。とりあえず残っている1本が抜けて、総入れ歯になった時点で考えよう。

 

 生きていても仕方がないのだが、死ぬこともできないのであれば、せめて毎日の景色、そのときそのときの呼吸にでも、何かしらの喜び、楽しみでも見いだしていくしかないのだろう。

 

 もともと楽天的なところがあり、そんな考えには馴染んでいる。たとえば今日、右腕がいつもより若干よく動き、右足は持ち上がりにくかった。腕は回復が一段進んだんだと思い、足はたまたまなのだと思ってしまう。いや、そう思い込むのではなく実際そうなのだ。

 

 

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 足の指の茶変については、毛細血管が脆くなっているのかもしれないから、一度病院に行った方がよいのか。両足の親指先が朝ビリピリと血管が引きつるような感覚がある。これは、痛みと言うほどではなく(ほど遠く)しかも寝起き当初の数分のみなので、ほっておくつもりだった。ただ今朝は、右額に似た感覚があり多少気になり始めた。このような血管障害が脳に起こったために脳梗塞になったのではないか?つまり、再発の前兆ではないか?元々の脳梗塞の根本原因が確定しない以上、気になる。

 

 昨年、発症する前、というか一昨年、平成22年10月頃から理由なく血圧が急に高くなった。最高が180位になり、アレッと重い血圧計を買った12月には、上200下110となっていた。11月たばこをやめ黒酢を飲み始めた。半年たってもあまり改善されず、病院に行くべきか迷っていたら、7月発症。どうも病院に行くのが遅れる。

 

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 病院というものを全面的には信用していない。医者個人個人についてもだ。だけどなのかだからなのか、そんなにひどくなければ「ま、こんなものか」と思ってしまう。竹川病院も昨年8月の入院以来、(最初の入院時診察を除いて)、1度たりとも聴診器すらあててもらっていない。血液検査も尿検査もなし。レントゲン、CT、MRIなどは話も出ない。それでいて血圧の薬はずっと出ている。なお血圧は自動血圧計でセルフサービス。

 

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 それにしても、会社から離れるのは社会から離れるのと同意義に感じるほど辛く寂しいものだ。私のように様々な職場を転々としてきた人間ですらこうなのだ。もっとも、もう二度と働けないと思うからそうなのだろう。

 

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 生き急ぎはしなかった。死に急ぎもしていない。でも穏やかに死ねるうちに穏やかに死にたい。いま、私の心は死を受容している。

20121108

 こんな体になって生き延びるなら

ほかに生きる道はなかったのか

これでなかなか楽しい人生だったと

ありもしない夢の中に

逃げて いや

逃げることを夢見て

 

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11月になって

少し寒くなってから

僅かに頭痛がある

これが脳梗塞の再発のサインでないことを

ただ願う

 

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早くも迎えてしまった晩年

緩慢な死より

速やかで安らかな死を

 

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右足

親指が痛み始めた

触れると痛い

変色はやや強くなった

おそらく爪が剥がれるのだろう

 

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発症前は、あれほど生命力にあふれていたのに。

何をするのもけだるい。

 

20121208

緩慢な死…緩慢な殺人

 

自分で望まないのに生かされること

 

胃瘻

 

延命治療だけは受けたくない

 

家族もいないのだから治療を受けるかどうかが自分の意思手で決まるのなら

断然拒否

 

正常な意識なく生きながらえて

それを生きているというのか

 

2013~2015

20130129

死に損ない

穏やかに苦しまずに死にたいな

 

20130315

こうしてまた

日々の営みに死を忘れ

あるいは薄れさせ

意味のない生(せい)のむなしさを

自分の目から遠ざける

 

ただそれだけの生(せい)

 

20130317

 

朝霞第一中学吹奏楽部定期演奏会観覧

 

大人っぽいね

最近の中学女子

演奏会用の黒のスーツ姿ってせいもあるけど

 

ももいろクローバーダンス

素晴らしい

後足の跳ね上げ

マリオネットの足を

無理矢理あげてるような

 

現代の中学生のダンスか

 

幸多かれ

幸多かれ

幸多かれ

幸多かれ

幸多かれ

20130410

風邪を引いた

 

健保の狭間

 

珍しく というか 生まれて初めて

 

風ごときで医者になどとふと思ったが

 

保険がなかった

 

 

風邪 といっても鼻風邪ていど

 

会社勤めの頃なら休むことは考えられない程度

 

デイサービスを休んだ

 

もちろん自分が原因で風邪を流行らせたくないのが第一だが

 

かなり弱気であるのは事実

 

発病前なら想定できないことだ

 

 

 

老いていき

 

なにか軽い病いとも癒えない病い

 

そうこの風邪程度のことで気を病み

 

他の病を誘い

 

死ぬこともできずに泣き暮らす

 

そんなことにはなりたくない

 

 

 

死に至る

 

自ら死に至る過程に

 

苦痛がないのなら

 

機会を逃したくはない

 

 

 

弱って弱って

 

思考力も体力もその他の能力も

 

見る影もなくなってからじゃないと

 

死ねないのか

 

 

 

 

生きる屍に等しくならないと

 

屍になれないのか

 

 

 

その惨めさの中では死にたくない

 

 

機会を逃したくはない

 

 

20140224

2014年2月23日の転倒。

傷はたいしたことは無いのだが、前歯が抜けたのが大きいダメージ。

風呂トイレの換気扇が壊れて、管理人さんの紹介してくれた設備屋さんが今日見積もりに来る予定だが、午前中は歯医者に行きたい。

冷蔵庫も壊れたし…。

予定通り山岸氏も木曜に来てくれるだろうし。

朝光園に顔を見せておきたい。

 

前歯がなくなって食事・会話にどんな影響があるのか。現在唯一残った左上顎中切歯も昨日の衝撃でぐらついているし、たぶん抜く。

これで自分の歯は全部で6本。

 

これだけ頻繁に転び、しかも顔面から転倒し、よくまあこの程度で済んでいるものだ。

勢いよく転んだ例がないので、この程度で済んでいるのか。そのうち顔面骨折、意識不明くらいの怪我をするかもしれない。

 

しかし、そんなことを恐れて歩かなくなったらおしまい。

だから歩く。でも転ぶ。

 

20150327

喉がおかしい

20150302のミニ発症から25日、まだ嚥下が順調ではない。

 

目も一段悪化したようで文字の多いサイトを5分見るときつい。

 

歯は今日歯医者で補正したがあと1カ所

右下奥ほんのわずか痛みがある。今晩傷が癒えて明日からうまくいくと期待したい。

2019~

20190327

過去の心境を読み返す。まだ自由に散歩ができたころだ。1日8時間以上でも歩けていた。夢のようだ。

どんどん衰えていく。こうして全身の筋肉が動かなくなり、心臓の筋肉も動かなくなり・・・・。

そんな日が穏やかに来てほしい。

 

20190329

やはり毎日 少しずつだが衰えている。このペースだと、あとどれくらい動けるのか。穏やかに往きたい。

 

 2019/03/31
穏やかに往くことを願いながらも、やはり、このままで終わりたくない。最後の最後まであがいて足掻いて、もう一度「不自由でも自由に散歩」をするんだ。とも思っている。