未来について

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人間の進化予測

進化の最終形態の別パターンとして宇宙系統樹農園の管理者

「エディプスの恋人」
果てしなき流れの果に
2015年に着手しておくべきこと

人間の進化予測

アニメと映画トップに人間の進化予測(概略)を書いたが、詳細とまではいかないが概略よりはちょっと詳しく考察してみたい。アニメと映画のトップに概略をおいたのは、この私の進化予測の各時点に該当すると思う作品がかなり多いからである。

DNAによる進化はあまり期待しない!

ただ地球進化の過程において、人間のみが手に入れた知性、これをどう進化させるかは人間の責任である。

 

〈初期電脳化〉

① 脳を除く肉体各部分の人工部品がほぼ完成する。

② 各人工部位の動作神経を電気信号で操作可能になる。

③ 脳神経から痛覚または痛点への神経のみの遮断を行うことに成功。

④ 脳神経が機械・もしくは電子脳に接続可能になる。

 

〈電脳化〉

⑤ 脳の各機能を人工部位すなわち機械に移行することが可能となる。

 

 個人の人格あるいは精神とは、記憶の集合体と思考時の優先順位あるいは優先順位入れ替えの癖、によるものにすぎないとしても、生物としてのまたは有機体としての肉体を離れることが可能となるとき、どのような変容を見せるのだろう?また、電脳化の当然の結果として複製可能となった人格の同一性はどう維持すべきなのか?

 

〈前期電脳化時代〉

⑥ 脳・肉体が有機物であるかどうかを問わず、各部位の随時交換が可能となる。無機物で作られた部位専用のメンテナンス施設もできる。

⑦ 必要に応じて、一部の記憶などの並列化も行われるようになる。

⑧ 記憶の連続性・思考の癖など「人格」に相当する特徴がある思念体のそれは、元々が有機体であるか無機物であるかを問わす゛、人格あるものとして認められる。

 

〈中期電脳時代〉

生物としての人間とは何だったのか?また複製や再生が可能となった人間に生物としての意識は残るのか?進化の途上、同一体からの細胞分裂ではなく、わざわざ別個体との接触による受精という過程を経て、ようやく進化しやすくなったDNAを捨て去るのか。またDNAは既に数値化されておりそのデータを継承していけばそれで種の保存としては足りるのか?

⑨ 有機物としての肉体から精神を切り離して、なおかつ精神的に健全な個の維持ができているとする。ただ健全の意味は有機物と無機物では異なるだろうが、物欲などは不必要になっているだろうからそういったものに関する戦争・紛争は生じないだろう。自分以外の存在そのものや思想そのものを完全に消しさりたいという思想さえ生じなければ争いの原因はない。この時点で精神の健全さを維持するためには各個の存在理由を確立しておかねばならないだろうから、哲学する電脳の時代とも言えるだろう。

⑩ 脳以外の四肢その他の部位は、それぞれの必要に応じ様々に変化しているだろう。脳以外は必要としない者もいるだろう。

⑪ 脳本体から空間的に離れた場所にある部位あるいは物体を、脳からの信号(アンプのようなものを経由するかもしれない)(これを脳波と呼ぶか念波と呼ぶか単なる電気信号として特に名付けないかはお任せする)により動かす技術の確立。

 

〈後期電脳時代〉

いよいよ物質から精神を解き放つ。

⑫ 個としてのまとまりのある信号波の波としての維持・保存方法の確立。つまり電子脳などの物質内部で思考・記憶するのではなく、一定空間または空間を波として移動しながらの思考・記憶。

 

〈初期思念体〉

⑬ 前段階で思念は物質を離れた。もはやこの段階では個別の四肢やその他の肉体部位は不必要だろう。

また電子脳も同じく不必要となる。思念体と書いたが「物体」ではなく「ある一定の思考法と記憶を持つ概念としてひとかたまりの思念」のことである。

⑭ 思念の信号波で動くように作られたもの以外でも、だんだんと動かせるようになる。無機質から有機質、植物そして最終的には動物まで。

⑮ 他の知的生命体と接するためのインターフェースも活用しているかもしれない(例、モノリス、ナガトユキ)

 

〈中期思念体〉

⑯ 個である必要性を感じなくなった思念体は統合され始める。しかし独特の癖のある思考法などは個別に記憶保存されていく。進化の途次、わざわざ異性体を設け自己を磨き争い協力したように、わざわざ遺伝子をXとYに分けたように、対立・競争する好敵手がなければ進化・発展・向上はない。
唯一絶対なるものを手に入れたとすれば、それが思考停止であり思念体としての終焉である。

 

⑰ もはや地球とか太陽系とかに思念を留めておく必要はないので、宇宙に偏在したり遍在したりするようになるかもしれない。数十億年後の太陽の滅亡あるいはそれ以前におきる地球上の生命の消滅もこれで乗り切ることができる。

 

〈思念体最終形〉

⑱ 素粒子あるいは素粒子を構成するエネルギーもまた波であるのなら、その波を作っているであろうもの(ヒモかもしれない)を動かし、空間に物質を生じさせることができるようになる。

⑲ 時間を移動できるようになる。

⑳ 世界を創造する。

 現宇宙の消滅までに宇宙を作らなければならない。現宇宙は進化がたどってはならない道をたどりつつある。引力の法則により各銀河は近づきつつあるのだ。
ふれあった銀河は融合しやがて一つになるが、中心部付近のブラックホールもまた一つになっていく。やがて全質量の陥落と共に特異点が生じるのだ。
特異点では時間・空間・保存原則・引力・素粒子の力などすべての物理非物理原則は消え去り、すべてが集中しやがて爆発的に拡散する。
つまりビックバンへの道を逆行している。拡大が収束へとつながっているのが現宇宙だと思う。そしてたぶん拡大・収束はくりかえされる。


※ 最終的に想像=創造につながるのなら、既にそれを行っている芸術家はやはり尊敬に値するのだろう。イマジネーションと現実の融合ではなく、クリエイトするものをイメージする。

 

※ この進化とは別に、進化以前でも進化のどの段階ででも、一定の悟り、哲学的に言えば「真・善・美は我が内にあり」宗教的なら「我は世界と一体なり」などの実感(知識・理解でなく体感)を得た者は、物質的には生存するために必要なもの以外はほぼ不要となり、ほとんどの欲(物欲・名誉欲など)は消滅する。無理にでも残しておきたい(所有し続けておきたい)ものがあるとすれば、向上心(進化欲・知識欲)と利他心(奉仕欲)だろう。(例、釈迦・モノリスなど)

 

※ 途中に電脳・機械脳時代を挟んだほうが、思念体への移行の概念としてはわかりやすいのでそうしたが、進化の方向性をみんなが納得すれば、遺伝子操作その他の技術により、楽に早く簡便に思念体へ移行する道が開けるかもしれない。

 

※ 自分の肉体について、また所有という概念について考える必要がなくなった脳は、なんらかの思考対象を持つことができるのだろうか?脳としての役割を負え、完全なる思考停止に陥らないのか?公案禅では公案という限界状況以外を脳から消し去り、物欲や肉体から脳を解放しようとしているが、世界を取り込み世界に取り込まれた時点で思考停止するのではないか?あるいは思考停止が涅槃の正体か?

 

※ 世界と一体化した思念が生み出す世界は、その思念が思考停止していなければその思念がのぞむ方向に変化しているだろう。

 

※ ともかく哲学者の長年の夢であった肉にとらわれない精神を、夢想のまま終わらせるのではなく、一歩でも現実化するよう人類が総力を挙げる、ときが来ているのではなかろうか?

 


進化の最終形態の別パターンとして

宇宙系統樹農園の管理者

宇宙系統樹

生物の進化の系統樹と同じようなものである。ただし時間軸をも自由に操ることができるので3次元では表現できない。ビッグバン以降の並行宇宙の進化の具合、それぞれの宇宙がどのように知性を生み出し、それぞれの知性がどのように進化しそれぞれの宇宙をどう変貌させたかが、系統樹の一つ一つの枝である。ある一つの枝は、太陽系を含む銀河宇宙の地球人類中心の知性発達具合を現すものであり、それを根元から折れば太陽系を含む宇宙はあらゆる並行宇宙も含めて存在しなかったことになる。

なお、ここでの並行宇宙は、可能性の分岐ごとに分岐した現宇宙のそれであり、現宇宙と同じ物理的性質を持つものである。ひも理論などの、異なる物理特性を持つ多元宇宙としての並行宇宙はまだ考えていない。この並行宇宙は次元数分の連立方程式でその次元の時空間座標を計算できるものなのだろう。

 

現宇宙の可能性分岐の並行宇宙でも、ひとりの人間にさえ無限の可能性があるのだから、一つの宇宙だけでも無限の無限倍ほどの並行宇宙を生じそうであるが、どちらでもよいものとか結果的に変わらないものとかの収束要因も多く、並行宇宙はその数量を枝の太さの違いとしながらも、一つの系統樹としての姿を持つものである。

管理者

 そしてこれらの系統樹が並ぶ農園では、より美しい系統樹を作るべく知性の最終形態である思念体が作業すなわち思索しているのだ。系統樹それぞれの樹形、農園全体の配置。一本の枝を剪定することは、その中に詰まってている無数ともいえる生命を、彼らの歴史ごと無に帰す作業である。これをなす精神力は、現在の人類にはとうてい及びもつかないものであろう。

「果てしなき流れの果に」の影響

 若いころ読んだ小松左京の「果てしなき流れの果に」、小説としては、校正が不充分、ところどころ使用言語の破綻をきたしているし、同じ言語の意味が定まっていなかったり、同じ意味の文を並べたりと、未熟なできだと思うが、その思考スケールと考え方は、その後の私に多大なる影響をもたらした。

前述の人間の進化予測もその影響下にある。この小説における肉体と精神の分離は、限界状況を物理的に作り出し強制的に分離させるやり方だが、公案禅の肉体版としておもしろい。やってみようとは思わないが。

ある体系宇宙の管理者だとか宇宙系統樹(という名称はなかったと思う)の概念もこの小説から得た。

 


筒井康隆「エディプスの恋人」の七瀬破瓜のシーン

 

 あの「家族八景」、「七瀬ふたたび」の主人公、火田七瀬が破瓜を迎えたシーン。

この宇宙をざっと眺める感じは「2001年宇宙の旅」のスターゲイトを通ったあとのシーンを彷彿とさせるものの一つ。


 年代順だと、庵野秀明誕生1960年、「果てしなき流れの果に」1965年、、「2001年宇宙の旅」1968年、、「家族八景」1972年、「七瀬ふたたび」、1975年、「エディプスの恋人」1977年、「風の谷のナウシカ」1982年、「新世紀エヴァンゲリオン」1995年。


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 家族八景

 小説1972年。ドラマ化、1979年単発TBS主演多岐川裕美、1986年単発フジテレビ主演堀ちえみ。

 小説、是非読むべき。ドラマ??

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七瀬ふたたび

 小説1975年。

 ドラマ1、1979年、全13回、NHK少年ドラマシリーズ、主演多岐川裕美。

 ドラマ2、1995年、全6回、フジテレビ木曜の怪談、主演水野真紀。

 ドラマ3、1998年、全13回、テレビ東京ドラマシリーズ、主演渡辺由紀。

 ドラマ4、2008年、全10回、NHKドラマ8、主演蓮佛美沙子。

 映画、2010年、主演芦名星。


 小説、必読、今流行の上位自我=ハイヤーセルフなど40年前に早々登場、精神感応者(テレパス)が時空旅行者や予知能力者の思念を覗く!その心象風景は!

ドラマと映画、おすすめはできないが、好きな小説の映像化として許容。

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エディプスの恋人

 クライマックスが破瓜シーンなので映像化は難しい。小説はもちろんおすすめだが、3部作として家族八景、七瀬ふたたびを読んだあと、読んで欲しい。

 かる~くネタバレをすると、「世界」の「神」が変わる、穏やかな交代、それに七瀬が巻き込まれる、という話。なるほど20年前と今とでは、「世界」の価値観も、それから感じる性別すら変わったように思えるな。


おまたせっ!破瓜シーン一部書き写し。

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 遍在感があった。七瀬は「彼女」に替わり、太極に存在し、宇宙に君臨していた。

存在形態としてそれは宇宙そのものともいえた。超絶対者としての、動物的視覚に依らざる認識的視野を持つことがどういうことであるか、七瀬にはわかった。単に文字通りの「視野」であってすら、もしそれを持ち得たとすればそれがいかに常人にとって耐え難いものであるかも、たちまち七瀬は思い知らされていた。幾億もの星雲が、宇宙に充満するすべての原子と同じ認識的視野に共存していた。ある恒星系の生成から消滅までを七瀬は、地球の片隅で一匹の昆虫が産卵する様子と同時に認め得るのだった。すべての現象が恒常感覚として掌握できた。七瀬がたまたま学生時代に読んだハイデッガーの実存論をこれほど容易に実感できる視点はなかった。遍在者にとって視点とはすべての視点を意味し、すべての事物は七瀬の恒常的感覚の中に道具としてひとつひとつ七瀬にとっての、心理的価値を含めての価値を持ち、その中には驚くべきことに有意義でないものはひとつもなかった。それは人間としての七瀬が持つ脳細胞だけではあきらかに把握しきれぬ認識量であり、長い時間をかけて宇宙に拡がった「彼女」の全細胞の認識力が七瀬に仮の体験をさせていることは確かであった。

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 2001年と果てしなき流れの果にの影響を受けているのは明らかだろう。これは私の宇宙系統樹農園を眺める感覚であると言っていい。必ず一言一言、脳内に再現してみること。神の視覚の追体験であり、宇宙系統樹への前進である。またこれが破瓜シーンであることを忘れていなければ、書かれている内容の脳内視覚化に重ねて、性行為のシルエットが浮かぶはず。それが重層構造である。

 

果てしなき流れの果に

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ウィキペディアによる概要

 

『果てしなき流れの果に』は、宇宙を股にかけ、10億年の時空を舞台とする壮大なスケールの本格SFである。殺人事件を含む点でミステリー色もあり、時間は中生代から未来、さらにその先までもを含む。

小松左京の第4長編であり、小松の最高傑作という評価のみならず、日本SFのオールタイムベストといった企画では、常に上位にランクされる作品である。1997年の『S-Fマガジン』500号記念号で発表された「日本SFオールタイムベスト」と2001年に日本SF作家クラブ員が選ぶ国内SF作品では1位、2014年の『S-Fマガジン』700号記念の「オールタイム・ベストSF」の国内長編部門では2位に選出された。

執筆当時、第二次世界大戦終結から20年経過してから時として記憶喪失状態で日本へ帰国する元日本兵を『オデュッセイア』と『浦島太郎』にダブらせ、さらに当時の大阪近郊での遺跡発掘ブームをモチーフとしている。

デビュー作である『地には平和を』以来の歴史改変テーマでの、歴史への異議申し立てはなぜいけないのか、という問いかけを持ち、このテーマは後の小松作品でも描かれ続けている。本作中に登場するルキッフ、ルシファーも絶対者への挑戦者として、『結晶星団』『ゴルディアスの結び目』に登場するテーマである。

本作には、小松の別作品『日本沈没』で描かれた国土を失った日本人が宇宙へ進出するという未来の描写がある。小松は、『日本沈没』と当時は未執筆だったその第二部、そして本作と『復活の日』がつながって自分の小説の大系になると語っていたという。 

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(ぐっちーによる追加)

 SF小説家としての小松左京のほとんどの作品は、本作のスピンオフといっても過言ではあるまい。ここにあげられた結晶星団、ゴルディアスの結び目、日本沈没、復活の日のほか、継ぐのは誰か、物体O、神への長い道、氷の下の暗い顔、さよならジュピターなどは、まさしくそれである。

 

「掟の壁」のシーン

「ぐっちーの宇宙観(特に宇宙系統樹)」のモトネタであり、「エディプスの恋人」に影響を与え、確認していないがおそらく「2001年宇宙の旅」のスターゲイトの下敷となったと思われる、「果しなき流れの果に」のクライマックスシーンの一部「掟の壁」の部分を、長文なので抄録する。

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 体を八つ裂きにされるような衝撃の瞬間、野々村は、視野の明暗が反転し、とにかく時間機が始動した、ということがわかった。つづいて、閃きわたる意識の断片の中で白濁した空間内に、わずかに湾曲している、巨大な、まっ黒な円筒と、その周囲に、何層にもまつわりついている、うす黒い、太さはまちまちの、蔓巻バネのような螺線が、チラと見えたような気がした。

 その印象の断片だけで、彼が、かつてない初速エネルギーで、超空間の奥へとつっこみつつあることがわかった。黒い巨大な円筒は、この星系の太陽の世界線であり、いくつもの蔓巻バネは星系の諸惑星の世界線だった。いつもの程度の跳躍なら、いずれも、ぶれた写真のネガのような短い黒線にしか見えないし、これほど遠くに、見ることもない。だが、見たと思ったことといえば、それが最後だった。───もはや見るという視覚現象になぞらえることのできないような理解の仕方で、野々村は、自分が、すさまじい勢いで、未来へとはこばれていることを理解した。

 

 地球と人類の運命などは、そのダッシュの中においては、ほんの片隅のことにすぎなかった───めまいや、失神や、落下感や圧迫感、さまざまな恐怖や戦慄に似たものの錯綜する中で、彼は、はるか未来──ほぼ一千万年先のあたりに存在している、といわれる、あの“掟の壁”が、ぐんぐんせまってくるのを感じた。彼を追い回した、一般のパトロール隊員でさえ、そこから先はタブーになっているという、あの障壁が───

 

速度-もし、そんな概念があてはまるとするならばだが-は一向におとろえず、むしろ加速されつつあるような気がして、やがて彼は、障壁が四囲からおおいかぶさり、ついで、それをこえたことを理解した───塀のように、上をとびこえたのか、それとも厚みのあるものを、トンネルのようにとおりぬけたのかはわからなかったが、とにかく彼は、地上の時間旅行者が絶対に突破できない、とされている未来の壁のむこう側に、はいりこんだのだった。

 そこでは、もはや彼は、未来へと、つきすすんではいなかった。───もはや未来や過去は意味をもっていなかった。

 

 壁を越えるとき、分解してしまったのか、それとも、あの従来のタイム・ドライヴの原理にもとづく時間機は、ついにあの壁をこえることができず、ぶつかった勢いで、彼だけをほうり出してしまったのか、すでに彼は、時間機にのってはいなかった。

 

 いや───時間機のみならず、すでに彼の体に相当するものも、そこになかった、

 彼は、彼の意識として、そこにいた───ただ、それだけだった。

 それは、もはや、よく知っている時間旅行中の『体験』とも、ちがった存在意識だった。

 

 一切は、認識するための時間経過ぬきで、一挙に現前していた───彼はそこで、想起するように認識し、回想するように理解した。

 

 そこでは、もはや『時』は、時として存在することをやめていた───未来、過去の方位感覚もなかった。

 

 時間旅行者は、時間軸を比喩的に、空間における方位感覚として、意識するはずである。たとえば、未来を『前』、過去を『後』と…。

 

 ふいに、ノートの一片に書かれたような、言葉の断片があらわれる。-彼は、すぐそれが、自分がずっと前に書いた『時間と認識』という、幼稚なエスキースの一部であることを理解した。

 

 したがって、無限の未来は、『無限遠』として距離-空間感覚に翻訳される。最も粗雑なたとえとして、時は『流れ』として表象される。これは、人間の意識の“ふりかえり”作用と“予見”作用により、時の経過感覚が、空間的な移動感覚として表象されたものである…。

 

 だが、そこには───と、彼は、昔自分の書いた断章を思い出しているのか、それとも、今、理解しているのか、区別しがたくなりながら、思いをたどった───時は、あくまで、一方向から一方向へ、過去から未来へ、と、直線的にしか表象され得ない。時間軸をこえて───前後ではなく、時間の流れの左右へ、あるいは、上下へ、という方向を表象することはできないか?───

 

 ───いまかりに、我々の認識できる、時空連続体のうち、常に一方向にしかながれていない───そして一回性としてしか現象し得ないような時間軸を、直線として表象しよう。幾何学のごとく簡単な定義として、この直線を一次元とする。(アインシュタインのモデルでも、時間は三次元の上につみかさねられる一次元として考えられていた)。ところで時間は『直線』として表象し得る以上、この幾何学的表象に固執して時間を幾何学的にあつかうこともできる。この直線を、それに直交する方向へ移動させると、ここに時間的二次元平面ができ、ここには、最初の時間軸に平行な、すべての時間軸、いいかえれば、すべてのパラレル・ワールドがふくまれることになる…。

 

 なんという、幼稚なたわごと-と彼はせせら笑いたくなった-その通り、部分的には正しくても、ほとんどすべてを、一挙に理解できる今となっては、その比喩や展開は幼稚すぎるのだ。

 

 さらにこの平面に直交する軸を考え、時間の立体座標を考える時、このZt軸上の視点は、すべてのパラレル・ワールドを、平面上の平行線として見ることができる───時間旅行における問題。通常の時間旅行は、方向性を持った一次元軸、-Xt軸を移動するものと考えていい。時間は、過去から未来、ひとつのエネルギー傾斜をもった等速度の流れと表象できるから、加速、減速で、未来、過去への旅行を表象できる。過去の改変は、Xt軸方向に加えられた力と考えれば、それは、くわえられた力の大きさによって、X0~Xnのパラレル・ワールドへの、移動として表象しうるだろう?

 

 Zt軸の導入により、時間局面が表象され、曲面の正負が表象される。Xt、Ytが、それぞれ、無限遠において、閉じているとすれば───時間は、Yt軸に平行な直線を自転軸として回転する、球体と考えられる───なにをばかな!

 

 しかし、彼のいる、その『場所』では、まさに、その無数のパラレル・ワールドが、平行した形で一挙に理解できるのだった───彼はその概念の、あまりの奇妙さに、しばし呆然としていた。

 

 地球は───彼にとって、一番親近性のあるその小さな惑星の経歴は、一本の細い幹から、無数に枝分かれした、系統樹のようなものに感じられた。ある枝は、途中でぷっつりと切りとられ、地球の歴史はそこで終わっていた。ある枝は、はるか昔になえしぼみ、ある枝は、はるか先にまでのびていた。また、ある枝は、ねじまがって、輪状になってもとの方につながり、ある枝は、はるか未来の方向へとのびていた。

 

 それは、なんとも奇妙な光景-比喩的にいってだが-だった。彼の存在しているところからは、もっとも遠い所にあるものも、もっとも近い所にあるものも、遠近の距離感はそのままに、まったく同じ明瞭さで、感得できた───奇妙な空間牢獄にとじこめられているルキッフやエンの存在も感得できたし、奇妙な超時空間のポケットにとらえられている番匠谷教授のそれも感じられた。網の目のようにのびる無数の星の『進化』の過程を、継木したり、分枝したり、つみとったり、あたかも植物の栽培管理をするように、管理している、奇妙な『存在』の一群の姿も感受できた。

 

 今にして彼は、自分がやろうと試みていたことが、どんな意味をもっていたのか、ということを、ほぼ理解しかけた───多元的『進化管理』に対する、ささやかな、ごくささやかな、一地球的な反抗───『意識』に相当するものを、発生させているのは、この広大な宇宙の中で、もちろん地球だけではなかった。数億京立方光年の宇宙の中で、何兆という数の、それも地球的な概念からいえば、単なる不規則振動や、エネルギー束や、過動場としか思えないような、奇妙な形の『意識』─それとても宇宙の秩序を“認識”し、ある限界内で『自由意志』や『感情』を持つ以上、意識体にはちがいなかった─をふくむ、おどろくべきバリエーションをもった種類の意識がいたる所に発生し、すべて、その進化を管理されていた。

 

 さらに──それらの一切は、概念的な『静止状態』の中に、配置されているのではなかった。一切の、多元的超進化の場は、それ自体がまた、ある方向へ向かって動いていた。全宇宙の多元的進化とその管理をふくむ場は、それ自体が、まるでまわり舞台のように、一切をのせたまま、ゆっくりとめぐっていた──超々時空間の中を

 

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マギーの元ネタ?の場面とゼーレの会議彷彿?の場面から数行微録

 マギーの元ネタ?の場面とゼーレの会議彷彿?の場面とはいえ、50年前の1965年の小説である。CGもなく、パソコンもなく、ベーシック、コボル、フォートラン、パスカル、C言語、C++はおろか、ニーモニックなどアセンブラも、おそらくは未登場の時代に書かれた小説の文章である。

 

マギーの元ネタ?

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 われわれは、五つの電子脳の思考の組み合わせ討論を、電気的なモデルでやるかわりに、おのおのの電子脳自体を、ひとつの思考素子にみたて、思考過程を、電磁場の信号にして、電子脳自体が衛星の操縦装置に指示を与えて、空間上で任意の位置をとれるようにしてみた。

 彼は球体の中の、光を放つモデルをじっと見つめた。-するとそれが、部屋の中で、勝手に考え、討論しあっている五人の人物みたいに見えてきた。--(概略) 激しくディスカッションするもの、横から口を挟むもの、ひとり思索にふけるもの、会議をまとめようとするもの…。--

 

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ゼーレの会議彷彿?の場面抄録

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 声でない声がうす暗い室内にひびいた。声は、悩ましそうにつぶやいた。声は…ひどく無茶なやり方で実体化した。そのため、雲のテーブルが硬化して…部屋の中は、はげしい場波の波紋(フィールド・ウェーブ)に、ゆさゆさゆれた。

 

 「存在を中断することが、よしんばできたにしても、その空白期間中は、中断していると感じる君自身が存在していないのだから、その中断は、君にとってなんの意味のないものになる。…」


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一番大きな「校正が不充分、使用言語の破綻」箇所


 「果てしなき流れの果に」について「小説としては、校正が不充分、ところどころ使用言語の破綻をきたしている」と書いたが、その最大のものとして「階梯]概念の混乱がある。YAHOO!知恵袋でdendenmusi2145さんが答えている文があるので、転写する。

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階梯ですが、小説内で何度か出てきますね。

【第六章 3
「これで君は、第四階梯へ進める」 (二ページあとに)「君たちの仲間は ‐ 三十人が選ばれた」
「ぼくのきいているのは、パスしなかった連中のことだ」
「別の所にいる」と宇宙人は答えた。「彼らには、彼らの、第三階梯の生活が待っている。」

【第六章 5
第四階梯の男が‐なんてざまだ
「ここには第二階梯の、基礎訓練所がおいてあった~」】

ここではおそらく、宇宙人に選別されたのが第三階梯、密閉された部屋から出るなどのテストをパス出来れば第四階梯、それ以外の宇宙船に乗せて貰えただけの連中が第二階梯、
第二階梯は組織で働くこともあればネアンデールと交配させられることもある、と考えられることが出来ます。
人間は、第二か第三階梯で、第四階梯に進める素質をもつ者もいる。


しかし
【第七章 最終ページ
すべての段階で下級"作業"をおこなっている、第五階梯の連中まで駆り立てて…。】
【第八章 1
パトロールは投げやりな調子でいった。「私たち‐第五階梯のものが、こんな所でこんな連中を相手にしなきゃならないとすると~」
「私は‐私は、降等されて、ここに来ました!」~「前は第四階梯にいて、もう少しはましな仕事をしてたんです」】

六章では、第三階梯から第四階梯へあがって(進んで)いるのに、第八章では第四階梯から降等されて第五階梯へ移った、ととらえることが出来ます。

さらに
【第十章
いや、いまはすでに、松浦の体をかりた存在ではなかったから、第二階梯超意識体アイは、~
君の階梯では知ってはならないことを知って、君の超意識体の凝集秩序は擾乱され、もはやもとにはもどらない…~
-第二階梯においてなら、かろうじて、君をささえることができるだろう。
君を、第二階梯に - 肉とともにほろびる意識のなかにほうむろう。】

アイが第二階梯超意識体?肉とともにほろびる第二階梯?

アイが第二階梯超意識体で、未来の地球の駐在員が第四から第五階梯へ降格は矛盾しませんし、
第二階梯が肉とともにほろびて、松浦が第三から第四へとパスしたは矛盾しませんが、
この二つを並べると、どうにもおかしい…。

『果てしなき流れの果てに』は私も大好きで、日本SFで一冊を選ぶとしたらこの本ですが、どうも小松さん連載途中で階梯に関しては、ごっちゃになったのではなかろうかと……。

この、二だとか三だとか四だとか五だとかは、徳間文庫版とハルキ文庫版を参照。角川文庫版もあるはずだしハヤカワ文庫版も古本屋で買った気がするんだけど、ちょっと見つからなかったのでどうなってるか分からない、多分同じだと思うけど…。
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  (ここから、ぐっちー)

 私が、現在所持しているのは角川文庫の昭和五十八年版だが、版によって内容が異なるとは聞いていない。また初めてこの小説を読んだのは、昭和四十年代の終わり頃だと思うが、どの書店の本かは気にもしなかったし、当然、記憶にない。


 ただ上記の点など気になる点が初見時からあった。

回答者dendenmusi2145さんの答えは、その通りだと思う。


おそらくは、初め次のように設定していたのが途中で混乱をきたしたのだと思う。

(この階梯設定はぐっちーによる想定で、小松左京の想定とは異なるかもしれません)

第一階梯 生存と種の存続本能以外に、知性が目覚めはじめた生命体

第二階梯 肉体の牢獄に閉じ込められた知性、だがそのことを意識していない生命体

第三階梯 肉体という牢獄に閉じ込められた知性、で知性のみの活動も想像しうる生命体

第四階梯 肉体から解放された知性、その空間からは解放されていない残留思念に近い意識体

第五階梯 肉体と空間から解放され、光速で意識体を移動しうる超意識体、思念体

第六階梯 肉体と空間、存在場所の物理原則から解放され、遍在も偏在もなし得る思念体

第七階梯 第六階梯思念体で意識から物体を想像できるもの

第八階梯 第七階梯思念体のうち、時間の物理原則からも解放されたもの


これでいくと、第二階梯超意識体アイではなく第五階梯超意識体アイだろうし、パトロール隊員は第四階梯から第三階梯に降格された者たちだろう。

 階梯選別は、テレポーテーション、テレキネシス(サイコキネシス)、テレパシー、クレヤボヤンス、プレコグニションなどの能力をどの程度いくつ持つかで異なるとの説もある。とある科学の世界か!


2015年に着手しておくべきこと

私の目指す未来のために

1.個人


 まず、私たちひとりひとりは、自分とは何かをできるだけ把握するように努めます。

哲学、宗教などからでも、科学的考察からでも、ちょっとしたおもいつきでも、「ああこれが私だ」というものを見つけておきます。肉体的ではなく、精神的にです。

 私の場合、私と言えるものは、思考の際の癖、思考時の優先順位、記憶野の表層・中層・深層に何があるか、記憶野の各層の分類の癖、記憶の連続性の5点で把握しようと思います。

 このサイトも、その5点の手助けになればと、各点について記録しておきたいと思っています。

 

2.技術的に研究開発に着手して欲しいこと、したいこと

 

 私には、残念ながら、自分が望む方向に進める、技術力も、その技術を研究するのに必要な財力もありません。完全他力本願です。

ただ、自分がそれができる立場なら、着手しておきたい技術がいくつかあります。

 

①義体技術

②電子脳技術

③物質の分解と再構成

 

 ①②については、これまで書いたことや、いろいろな映像作品でもテーマになっていることなので、世間の皆がその方向の技術の発展を望めば、学術ベースの伸展が期待でき、商業ベースでも折り合いがつき、開発・発達につながるものと思います。

 

 ③は、まだまだ夢物語ですが、将来、物質転移装置を作るために研究を始めなければなりません。

第一段階 原子を素粒子に分解し、その素粒子から原子を再構築する。

第二段階 物質を構成原子を破壊せずに、原子レベルに分解し、元の物質に再構築する。

第三段階 素粒子を電気信号に変え送受信する。

第四段階 以上三段階を組み合わせ、無機物を電気信号に変え送受信し、その信号から無機物を再構築する。

第五段階 有機物、生命体について、第四段階を行う。まず単細胞生物、ついで植物、動物、類人猿、人間。

 

 

3.つまり

 

 将来、自分の脳あるいはその一部を無機物に置き換えたとき、自己同一性を保てるかどうか。また、自分の脳の完全なコピー体ができたとき、その同期を計るときの自己意識の連続。さらに、分解・再構築する場合の、不純物検索、連続した思考体・思念体であり続けるために、自己の把握は必要になるのです。


  物質転移装置の研究は、この空間のエネルギーを組み合わせ、素粒子→原子→分子→細胞と再構築できるかどうかにかかっている。植物は、太陽エネルギーと大地の栄養素から、自分の体と酸素とを作り続けている。人間の作った、電波エネルギー、地球の地磁気、宇宙から降りそそぐ放射線など、変換する素材となるエネルギーには、ことかかない。無からものを作るのではなく、ちょっとエネルギー変換して物質を構成するのだ。

 

この分野・テーマの動画、参考動画

クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん

2001年宇宙の旅

 

攻殻機動隊、サイコパス、ガンスリンガーガール、RD 潜脳調査室、イヴの時間

 

Ergo Proxy  エルゴプラクシー、STEINS;GATE、TEXHNOLYZE、うたわれるもの、ココロコネクト、シリアルエクスペリメンツレイン、ちょびっツ、とある魔術の禁書目録、とある科学の超電磁砲、ノエインもうひとりの君へ、新世紀エヴァンゲリオン、うみねこのく頃に、涼宮ハルヒの憂鬱、長門有希ちゃんの消失、物語シリーズ

 

(追加、この項を初めて書いた時点まで未見だったもの。)

インターステラー、マトリックス(2015まで見ていなかった)