六師外道

釈迦と同時代(紀元前500年頃)のインドの思想家たち。仏教以外の道を説く6人の師。

アジタ・ケーサカンバリン(Ajita Kesakambalin 阿耆多翅舎欽婆羅)

順世派および後世のチャールヴァーカ(Carvaka)の祖。唯物論者で、人間は地・水・火・風の4元素から成ると考えた。無神論者であり輪廻を否定、布施や修行などの宗教行為は無意味であるとした。人間は人間として生まれた以上成すべき事があるといった従来の思想も否定。人間は今生きている世界で生を最大限に利用し楽しみ、幸福をそこに求めるものだとした。これは快楽至上主義と言われる。


パクダ・カッチャーヤナ(Pakudha Kaccayana 迦羅鳩駄迦旃延)

アジタ・ケーサカンバリンの4元素に苦・楽・命を加えた唯物論的・原子論的な七要素説を唱えた。

地・水・火・風・苦・楽および命の7つの要素それぞれは、互いに他に対して何の影響もあたえず、また受けないのであり、その点で絶対的で永続的なものであると説いた。


プーラナ・カッサパ(Purana Kassapa 不蘭那(不蘭)迦葉))

道徳否定論者。悪業というものもなければ、悪業の果報もない。善業というものもなければ、善業の果報もないという考え。霊魂の不生不滅を説いて、因縁や業を否定、人間はどんな行為をしても善にも悪にもならず、当然にそれらの報いも無いとした。


マッカリ・ゴーサーラ(Makkhali Gosala 末迦梨瞿舎利)

裸形托鉢教団アージーヴィカ教(邪命外道)の祖。決定論者。生けるものを構成している要素として、霊魂、地、水、火、風、虚空、得、失、苦、楽、生、死の12種類をあげた。

万物はその細部にいたるまで宇宙を支配する原理であるニヤティ(宿命)によって定められているとして、人間の意志にもとづくあらゆる行為を否定し、徹底的な宿命論を説いた。既に決定していることだから、人間のあらゆる努力は無駄であるとした。


サンジャヤ・ベーラッティプッタ(Sanjaya Belatthiputta 刪闍耶毘羅胝子)

懐疑論者。霊魂の存在・来世の存在・善悪の行為の報いの存在など形而上学的な重要問題に対して曖昧な回答をし、判断を中止する態度をとったといわれる。
彼は当時、多くの弟子を擁していたが、その高弟のサーリプッタ(舎利弗)マハーモッガラーナ(目連)とが、250人の弟子とともに釈迦に帰依し去っていったと仏典は記している。


マハーヴィーラ(ニガンタ・ナータプッタ Nigantha Nataputta 尼乾陀若提子、本名ヴァルダマーナ)

相対論者。ジャイナ教の開祖。インドには残らずにインド以外に広まった仏教とは逆に、インド以外の地にはほとんど伝わらなかったが、その国内に深く根を下ろして、およそ2500年の長い期間にわたりインド文化の諸方面に影響を与え続けている。真理は多様に言い表せると説き、一方的判断を避けて「相対的に考察」することを教えた。これである」「これではない」という断定的表現をさけ、常に「ある点からすると(スヤート、syaat)」という限定を付すべきだとする。ジャイナ教は、相対主義を思想的支柱とし、後世「ヴェーダーンタ学派」の不二一元論や「サーンキヤ学派」の二元論、また「仏教」の無我論などと対抗してインド思想史上重要な位置を占めた。


六師外道とは別に釈迦が出家後に関わった思想家

釈迦は出家してまずバッカバ仙人を訪れ、その苦行を観察。自分の道では無いとして離れた。

次に訪れたのがアーラーラ・カーラーマの教団である。


アーラーラ・カーラーマ(Ālāra Kālāma、阿羅邏迦蘭)
「空無辺処」すなわち物的存在たるこの肉体を厭い、無辺の虚空の自在を欣び、空無辺の理(ことわり)を解し、修行すること、あるいは「無所有処」空は無辺なりと観じて、空を破した人が、さらに識が三世(過去・現在・未来)にわたって何も存在しないと観察し達観する事を解いたとされる。
彼は自分の300人の弟子を共同で指導しないかと釈迦を誘ったが、釈迦はその境地は真の悟りを得る道ではないと覚り、彼のもとを去って次にウッダカ・ラーマ・プッタのもとへ行ったという。


ウッダカ・ラーマ・プッタ(Uddaka-Rāma-putta、鬱頭藍弗、優頭藍子など)
彼は、非想非非想処の境地までを証得し、釈迦にこの境地を示すも、釈迦は即座にこの境地に至った。しかるに彼もアーラーラと同じく、彼の僧団を共に率いていこうと釈迦に要請するも、釈迦自身はこの境地もいまだ真の悟りを得る道ではないと感じ、去って自ら道を求めたという。釈迦は彼のもとを去って6年間にわたって苦行した。

釈迦

釈迦  ゴータマ・シッタールダ  紀元前624年 – 紀元前544年 一説(主要4説で150年以上の開きあり)
シャカ族の王子として生まれ、快楽の日々を過ごし、妻帯し一子ラーフラをもうけた後、29歳で出家した。
マヌの法典は人生を学生期・家住期・林棲期・遊行期の四住期に分けているが、そのような風習が一部にあったのだろう。
6年間苦行したが安らぎを得ることができず、苦行を捨て菩提樹の下で瞑想しついに真理を悟った。
縁起、中道(、四諦、八正道)
縁起 原因に縁って結果が起きるという因果律、この世のすべては関係性によって成り立つ
また釈迦が語らなかったこととして十四無記があるが、まとめると世界は有限か無限か、霊魂は不滅かの1点になる

釈迦十大弟子

経典によって誰が十大弟子に入るかは異なるが、維摩経では出家順に以下の通りである。


1.舎利弗(しゃりほつ) パーリ語でサーリプッタ。サンスクリット語でシャーリプトラ。舎利子とも書く。智慧第一。『般若心経』では仏の説法の相手として登場。


2.摩訶目健連(まかもっけんれん) パーリ語でマハーモッガラーナ。サンスクリット語でマハーマゥドガリヤーヤナ。 一般に目連と呼ばれる、神通第一(じんずう・だいいち)。舎利弗とともに懐疑論者サンジャヤ・ベーラッティプッタの弟子であったが、ともに仏弟子となった。中国仏教では目連が餓鬼道に落ちた母を救うために行った供養が『盂蘭盆会』(うらぼんえ)の起源だとしている。


3.摩訶迦葉(まかかしょう) パーリ語でマハーカッサパ、サンスクリット語でマハーカーシャパ。大迦葉とも呼ばれる、頭陀第一。釈迦の死後、その教団を統率し、第1結集では500 人の仲間とともに釈迦の教法を編集する座長を務めた。禅宗は彼の拈華微笑を以て付法蔵 (教えの奥義を直伝すること) の第2祖とする。


4.須菩提(しゅぼだい) パーリ語・サンスクリット語ともスブーティ。解空第一。空を説く大乗経典にしばしば登場する。『西遊記』では、孫悟空の師匠として登場する。


5.富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし) パーリ語でプンナ・マンターニープッタ、サンスクリット語でプールナ・マイトラーヤニープトラ。略称として富楼那。他の弟子より説法が優れていた。説法第一。


6.摩訶迦旃延(まかかせんねん) パーリ語でマハーカッチャーナ、サンスクリット語でマハーカートゥヤーヤナ。論議第一。辺地では5人の師しかいなくても授戒する許可を仏から得た。


7.阿那律(あなりつ) パーリ語でアヌルッダ、サンスクリット語でアニルッダ。天眼第一。釈迦の従弟。阿難とともに出家した。仏の前で居眠りして叱責をうけ、眠らぬ誓いをたて、視力を失ったがそのためかえって真理を見る眼をえた。


8.優波離(うぱり) パーリ語・サンスクリット語ともウパーリ。持律第一。もと理髪師で、階級制度を否定する釈迦により、出家した順序にしたがって、貴族出身の比丘の兄弟子とされた。


9.羅怙羅(らごら) パーリ語・サンスクリット語ともラーフラ。羅云とも書かれる。密行第一(みつぎょう・だいいち)。釈迦の長男。釈迦の帰郷に際し出家して最初の沙弥(少年僧) となる。そこから、日本では寺院の子弟のことを仏教用語で羅子(らご)と言う。


10.阿難陀(あなんだ) パーリ語・サンスクリット語ともアーナンダ。阿難とも書く。多聞第一(たもん・だいいち)。釈迦の従弟。nandaは歓喜(かんぎ)という意味がある。出家して以来、釈迦が死ぬまで25年間、釈迦の付き人をした。第一結集のときアーナンダの記憶に基づいて経が編纂された。120歳まで生きたという。

ついでに十六羅漢

1.賓度羅跋羅惰闍(ピンドラ・バラダージャ)
2.迦諾迦伐蹉(カナカバッサ)
3.迦諾迦跋釐堕闍(カナカバリダジャ)
4.蘇頻陀(スビンダ)
5.諾距羅(ナコラ)
6.跋陀羅(バダラ)
7.迦哩迦(カリカ)
8.伐闍羅弗多羅(バジャラブタラ)
9.戍博迦(ジュバカ)
10.半託迦(ハンタカ)
11.羅怙羅(ラゴラ)
12.那伽犀那(ナガセナ)
13.因掲陀(インガダ)
14.伐那婆斯(バナバス)
15.阿逸多(アジタ)
16.注荼半諾迦(チュダハンタカ)