思想家年表

紀元前西洋

★ ギリシャの自然哲学    
 すべての根源はなにか   
 タレス 水   
 ピタゴラス 数   
 ヘラクレイトス 火   
 エンペドクレス 火・空気・水・土の四元   
 デモクリトス 原子(物質の最小単位として。それ以上分割できないものとして。)   
    
★ ソフィスト 直接民主政治のアテネにおいて言論術を教えた職業教師    
 プロタゴラス 人間が万物の尺度である    
 真理と呼べる普遍的なものはなく各人各様の正解があり、詭弁を弄してでも論破する   
    
★ ソクラテス 無知の知 普遍的真理の探求    
 ギリシア  紀元前469年頃 – 紀元前399年4月27日  (約70歳没) 
 無知の知→問答法(産婆術)
 ソフィスト=職業的教師のように個々に本質があるのでなく、普遍的な真理の探究   
アレテー(徳) 知行合一・知徳合一・福徳一致   

ソクラテス自身による著作はなく、思想については弟子であるプラトンらの記述によるしかない。


★ プラトン  イデア論 肉体という牢獄の中の魄    
 ギリシア  紀元前427年 – 紀元前347年   (満74歳没)
 理想主義   
 イデア→魂の目で見る物事の普遍的な真の姿   
感性の二元論→魂という生まれ変わりがある永遠の存在が肉体という牢獄につながれている
     
★ アリストテレス  経験と観察を重視 万学の祖    
 アリストテレス  紀元前384年 –紀元 前322年3月7日  (満62歳没) 
 プラトンに師事。プラトンの徹底した観念論に対し、経験的に与えられる個物を重視。
 実在論を展開した。   

現実主義。経験と観察を重視→万学の祖   
快楽追求の享楽的生活や名誉を求める政治的生活を低く見て   
 真理を求める観想的生活を最高のものとした   

三段論法。大前提、小前提および結論、結論が真であるためには論理の法則が守られ前提が真であること
 正義・友愛・中庸   
    
★ エピクロス  快楽主義 隠れて生きよ    
 エピクロス  紀元前341年 – 紀元前270年   
 快楽主義→精神的な   
 ヘレニズム時代 政治や社会の動乱に左右されない普遍的な世界市民としての生き方   
 人の不安の原因である迷信や死後の世界を否定→生きているものに死者はいない、死んでいるものに生者はいない→   
 魂の平安こそが真の快楽であり賢者の理想であるとした(快楽主義)。→   
 物質的にはわずかばかりのパンと水があれば生きるのには足りる→隠れて生きよ   
 実際に賛同者達と庭園での共同生活を営んだ   
    
★ ゼノン  ストア派 禁欲主義 徳は世界と一致する    
ギリシア紀元前335年 – 紀元前263年 (満72歳没)  
 禁欲主義→自然として一致して生きる   
 自然全体は理想的な法則の支配の下にある   
 破壊的な衝動は判断の誤りから生まれるとする   
 ヘレニズム時代 政治や社会の動乱に左右されない普遍的な世界市民としての生き方   
 ストア派禁欲←→エピクロス派快楽   
    
★ モーセ    
 モーセ  紀元前13世紀ごろ   
 ユダヤ教からキリスト教・イスラム教が分離する前   
 エジプトの奴隷だったユダヤ人と唯一神ヤハウェとの契約により約束の地カナンに導く   
 契約の仲介者・預言者   
 自由にするから私のみを信ぜよ→契約→選民   
 ユダヤ民族→ユダヤ教信者→勤勉   
    
★ イエス    
 イエス   紀元前4年頃 – 紀元後28年頃   
 ユダヤ民族→5000年の歴史→ほぼ迫害→終末思想   
 ユダヤの神→裁きの神→自由になったはずなのに律法で縛っている   
 イエス→愛の神でもある   
 神を愛するように隣人を愛せよ→神はあなたも隣人も同じように愛している   
 神が愛する隣人を愛するのは当たり前   
 律法を完全に守れるのは神だけ→だから悔い改めよ→心の天国に至る→内面を重視   
    
 キリスト教の誕生   
 イエスの死→ユダヤ教の否定者として処刑   
 (弟子の意識で)復活→イエスは救世主キリストである    

紀元前東洋

諸子百家、印度古哲。既出ページ参照。

諸子百家

印度古哲

西洋   紀元~宗教改革前まで

★ パウロ  回心 信仰義認 三元徳  
 パウロ  ? - 65年? 
 ユダヤ教の律法主義者→律法を守れぬ自身の罪深さに絶望→回心 
 信仰義認「人が義とされるのは律法の行いに拠るのではなく、信仰による」 
 キリスト教の三元徳(信仰・希望・愛)による救いの道を広めた 
  
★ アウグスティヌス  教父 恩寵予定説  
 アウグスティヌス  354年11月13日 – 430年8月28日 
 教父 協会公認の著作家 恩寵予定説を説いた 
 人間は罪深く神の恵みによらなければ禅を志すことすらできない。 
 神の救いは神の意志によって予め定められており、神の代理人である教会を通してのみ与えられる。 
  
★ トマス・アクィナス  スコラ哲学 神学と哲学の融合  
 トマス・アクィナス(伊)  1225年頃 – 1274年3月7日 (満49歳没)
 教会付属の学校(スコラ)の教師として、キリスト教義をアリストテレス哲学を用いて説明しようとした。 アリストテレス哲学のキリスト教的改造。
 自然法とは、神の法を人間が理性でとらえたものであり、人間社会の規範であるとした。

日本の仏教家 鎌倉新仏教まで

★ 聖徳太子 篤く三宝を敬え   
 聖徳太子 574年2月7日 – 622年4月8日  
 聖徳太子のころ日本に伝わっていたのは、中国・朝鮮の思想も混じった仏教(儒学・道教の影響)  
 仏(釈迦)法(真理)僧(修行者)の三宝を敬うことを説いた。  
 世間は虚仮、ただ佛のみ真なり→すべては空であるが釈迦の教えだけは真である  
   
★ 最澄 天台宗 一切衆生悉有仏性 一隅を照らす   
 最澄 767年9月15日 – 822年6月26日  
 法華一乗思想 大乘仏教  
 この世の中の全てのものが仏になることができる、一切衆生悉有仏性  
 奈良仏教は修行の場が少ない→山岳仏教→千日回峰などの修行  
 釈迦でさえ修行だけでは悟りを得られないと気づくまで6年の荒行を積んだ  
 一隅を照らす国宝的人材を要請したいと、比叡座延暦寺を開く  
 僧は人々の手本になり、人々のために尽くさねばならない。  
 そのためには、一心に学問に励み、修行を積まねばならい。  
   
★ 空海 真言宗 密教 高野山金剛峯寺を開く   
 空海 774年 – 835年4月22日  
 言葉で明瞭に示される顕教←→深淵で神秘的な密教  
 真言マントラは仏名などのサンスクリット語を翻訳せずに咒としてじゅ文のように唱える。  
 密教は大日如来の教えであり、人は修行により生きたまま仏になれるとした。即身成仏。  
 修行は身口意の三密。手で印を結び、口でマントラを唱え、心に仏を描き出す。  
 現世利益を重視し加持祈祷を行う。護摩炊きなどパフォーマンス要素もたっぷり。  
   
★ 空也 口称念仏 阿弥陀聖 市聖   
 空也 903年 – 972年10月20日  
 「南無阿弥陀仏」と口で唱える口称念仏を全国を遍歴しながら広めた  
 阿弥陀仏に帰依します、すべてを仏のはからいにおまかせします  
   
★ 源信 浄土教 往生要集 厭離穢土欣求浄土   
 源信 942年 ― 1017年7月6日  
 煩悩で穢れた汚い世の中を厭い、仏の住む清らかな世界に行きたいと心から願う  
 浄土に往生(往って生きる)ためには、心に仏の姿を思い浮かべる観想念仏がよいとした  
   
★ 法然 浄土宗 専修念仏 他力本願   
 法然 1133年5月13日 – 1212年2月29日  
 阿弥陀仏はすべての衆生を救って浄土に生まれ変わらせるとの誓い(本願)を立てて仏となった  
 その阿弥陀仏の本願を心から信じ、すべて任せる他力本願  
 そのためにはただ口で「南無阿弥陀仏」と唱える。修行としてもそれだけの専修念仏。  
 末法の世に自力で悟りを得ることは困難である。浄土に生まれ変わりそこで悟りを得よう。  
   
★ 親鸞 浄土真宗 絶対他力 悪人正機   
 親鸞 1173年5月14日 – 1263年1月9日  
 自力修行により悟りを得ることは末法の濁世では不可能である。  
 自力を捨て去り、ただ阿弥陀仏にすがることによってのみ救いを得ることができる。  
 煩悩に満ちた罪深い人間こそ阿弥陀が真に救わんとする対象(悪人正機)  
 そのような悪人こそ自力での悟りは諦め、真に阿弥陀を求めただ阿弥陀にすがる(絶対他力)  
 一方、仏の道を探ろうとする善人は自力を捨てきれず、救いではなく悟りを求める。  
 すべての人間を救う本願を立てた阿弥陀は、阿弥陀をさほど求めないそんな善人でさえも  
 救うのだから、悪人を救うことは当然である。善人なおもて往生す、言わんや悪人おや。  
 修行は自力のためのものだから念仏は修行ではない。救っていただく感謝の念である。  
   
★ 道元 曹洞宗 只管打坐 修証一等    
 道元 1200年1月19日 – 1253年9月22日  
 人間はみな仏性を備えている。みな善人である。真の自己に目覚めることが仏道である。  
 仏道の中心に禅の修行を置く、修行は只管打坐。ただ座るひたすら座る、座禅に打ち込めば  
 身心脱落する。つまり身も心も一切の執着から解き放たれ自在の境地にいたる。  
 修証一等、座禅の修行は悟りに至るものではなく、修行が悟りそのものである。  
   
   
★ 日蓮 日蓮宗 題目   
 日蓮 1222年2月16日 – 1282年10月13日  
 題目「南無妙法蓮華経」を唱えることが救いの道である。  
 他宗派を激しく非難した。来世ではなく現世に、個人ではなく社会(国家)の救済こそ  
 日蓮の仏道であった。  
 鎌倉新仏教らしく行などの単純簡素化→題目のみ  

日本 江戸期から明治啓蒙期の思想家

★ 林羅山 朱子学 上下定分の理  存心持敬 昌平坂に私塾   
 1583年1月23日 – 1657年3月7日  (満74歳没)
 自分の心に欲が起こることを抑え、道にかなうことを求める心のあり方、居敬、存心持敬  
 心に少しも私利私欲を持たず慎み深く生きる事をすすめる  
 窮理もこの世を貫く、上下秩序に関する研究をすることと説いた  
 上下階層の分をわきまえて生きよ→江戸幕府公認の学問となり昌平坂学問所の元となる  
 もともと礼・形式といった外面を重視する朱子学は幕府の威厳を高めた

戦国のように下克上や謀反の心は抑えられ、江戸250年、鎖国の内側での平和は保たれた  
   
★ 中江藤樹 陽明学 近江聖人 孝   
 1608年4月21日 – 1648年10月11日  (満40歳没)
 朱子学のような外面重視ではなく内面の心、特に孝を重視  
 孝とは人を愛し敬う心であるとし、あらゆる人間関係を成立させる全孝でもある→万人に共通  
 ただし陽明学とはいえ儒学であるので、孝も時とところと身分をわきまえてつくすこととした  
 知行合一、良知と行動を一致させるべく、伊予大洲藩を脱藩し母のいる故郷近江に帰り孝養を尽くした  
   
★ 山鹿素行 古学 士道   
 山鹿素行 1622年9月21日 – 1685年10月23日    (満63歳没)
 古学の提唱。孔子の思想を注釈書ではなく四書五経から直接学び取る。  
 戦国の武士道は「いかに死をも辞さず主人に仕えるか」(死ぬことと見つけたり)だが  
 泰平の士道とは「武士は道徳的にも指導者になるよう修養に努めること」とした  
   
★ 伊藤仁斎 古義学 仁愛と誠   
1627年8月30日 – 1705年4月5日  (満77歳没)
 外面重視の朱子学の礼ではなく、内面の仁愛こそが、孔子の真に説きたかったことであるとして  
 古義学を提唱。人間は身分の違いを越えて親しみ愛しあうものだとして仁愛を説く。  
 仁愛の根底には誠が必要とした。誠とは言を成すこと。真実無偽、自分も他人をも偽らず  
 欺かないこと。忠信。  孟子に近く、四端の心や性善説も説いた。
 京都の私塾、門弟3千人、ふすまを隔て女人も傍聴できた。  
   
★ 荻生徂徠 古文辞学 先王の道 経世済民   
1666年3月21日 – 1728年2月28日  (満61歳没)
 古典と文辞を当時の意味で理解しようとする古文辞学を提唱  
 論語以前を研究、先王の道を見いだす。→人為的な天下安定の道。  
 儒学の目的は個人の修養ではなく、経世済民、世を治め民を救うことにあるとした。  
 朱子学では個人の修養の積み重ねが治天下の道としたが、公の政治と私の道徳を切り離した  
 儒学を道徳としてではなく政治学として経世済民のために学び実践していくべきとした  

法を曲げず忠義を軽んぜずとして赤穂義士を切腹に導いたとされる
   
★ 石田梅岩 石門心学 知足安分   
 1685年10月12日 – 1744年10月29日  (満59歳没)
 心学とは儒学・仏教・道教・神道を取り入れて日常生活での実践道徳を説くもの。  
 学問とは心をつくし性(人生・生活あるいは本性)を知ること  
 心が自然と一体となって秩序を作る性理の学として石門心学を提唱  
貴穀賎金という商人蔑視の時代に「商人の買利は士の禄に同じ」と説き商行為の正当性を認めた。
 正直と倹約をすすすめ知足安分、足るを知り分に安んじることを説いた。ただし分は身分ではなく職分。士農工商を身分制度としてではなく職業別社会分業制としてとらえた。  
   
★ 安藤昌益 万人直耕   
 1703年 – 1762年11月29日   (60歳没)
 無神論やアナキズムの要素を持ち、農 業を中心とした無階級社会を理想とした。  
 死後、近代の日本において、社会主義・共産主義・無政府主義二も通じる思想として再評価。  
 農耕を天地自然の本道とし人間生活の基本とした。江戸時代に武士を不耕貪食の徒として非難。  徹底した平等思想を唱えた。 理想主義的平等思想。
 あらゆる差別のない万人直耕の自然世への復帰を説いた。  
   
★ 本居宣長 国学 もののあはれ 古事記伝   
 1730年6月21日 – 1801年11月5日  (満71歳没)
 他国の思想である儒教や仏教が入ってくる前の日本の真の姿を知ろうと、古事記などの古典を研究。  
 「もののあはれ」という感情こそ人の真心であり道徳の基礎であるとした。古事記伝を著す。  
 自国中心主義に陥りやすい思想で、弟子の平田篤胤の復古神道を生んだ。  
 幕末の尊王攘夷、明治以降の神国日本までの責任を問うのは行き過ぎだろう。  
   
★ 二宮尊徳 報徳仕法    
1787年9月4日 – 1856年11月17日  (満69歳没)
父母を16歳までに失い叔父の家で農業に励む。開拓・増産に努め成果を復興。奉公先で財政を立て直し、小田原 藩内で名をあげ後に天領(真岡代官領)の経営を見事にやり遂げる。

報徳仕法。人として存在することは父母・国・人の恩であり報いねばならない。  
 「農は万業の大本」と唱え農民の自己変革を促し、疲弊した農村の復興に努めた。  
農業は自然の天道と作為する人道により成り立つ。

収入に応じた支出と倹約により生じる余剰を社会に還元する。  
   
★ 佐久間象山 東洋道徳・西洋芸術 和魂洋才   
1811年3月22日 - 1864年8月12日   (満53歳没)

真理に忠実であろうとした
 東洋道徳・西洋芸術、この芸術は技術や科学のこと、すなわち和魂洋才である  
   
★ 吉田松陰 一君万民論 飛耳長目 草莽崛起   
1830年9月20日 – 1859年11月21日  (満29歳没)
 一君万民論、天皇の下に万民は平等になる、天皇のために死にものぐるいで尽くすことが国を守ることになる。  
 飛耳長目、常に耳を遠くまで飛ばし目を伸ばせ、情報を多く集めることが国につくすためには最重要である  
 草莽崛起、在野の人々よ決起せよ  
 水戸学の大義名分論や尊王攘夷思想が下敷きになっている。教育者として人間を人材に変える名人とされた。  
 「君の志は?」と問いそれがどのように国や民のためになるのかを問うた。つまり個人主義でなく全体主義である。  
 志を持て。その志のために命をかけて行動せよ。まさしく日本的ファシズムである。  
   
★ 福沢諭吉 学問のすすめ 天賦人権 独立自尊   
1835年1月10日- 1901年2月3日  (満66歳没)

門閥制度は親の敵(かたき)で御座る
学問のすすめ 儒学ではなく数学や科学などの実学を学べ 西洋の文明を目的とせよ  
天賦人権  天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず 人権は生まれながらに平等である  
独立自尊 一身独立して一国独立す 独立心を培い欧米列強の植民地支配から日本を守れ  
3回にわたる欧米見聞をもとに日本の進むべき道を考えた  
   
★ 中江兆民 東洋のルソー アジアの片隅にヨーロッパの国をつくる   
1847年12月8日 – 1901年12月13日  (満54歳没)
 自由を捨てることは人間であることを捨てること  
 自由は勝ち取るものであり与えられてもらうものではない、憲法により民権が与えられたとしてもそれを育てる意志を持て  
 自由な人々による自治の国を目指すべきことを主張、民主国家は進化の理なり  
 ルソーの社会契約論を訳し人々を啓蒙  
   
★ 植木枝盛 国民主権   
 1857年2月14日 – 1892年1月23日  (満35歳没)六花
 自由民権運動の理論的指導者。国とは政府によってできたものでも君主によりつくられたものでもない、民によってできたものだ  。
 独自のアジア主義。小国主義、アジア連合論。植民地主義の欧米は大野蛮であり、被支配国が独立するよう協力すべき。盟主ではなく興臣たれ。  
 戦争反対で通商貿易と連携によるアジア諸国の独立と振興を目指した  
   
★ 内村鑑三 無教会主義 二つのJ    
1861年3月23日- 1930年3月28日  (満69歳没)
 渡米してキリスト教国アメリカの人種差別に激しく幻滅  
 個人の自由と独立を強調し、直接聖書と向き合う無教会主義を提唱。  
 二つのJ、JesusとJapan、に生涯を捧げると誓う  
 不敬事件で教職を追われる。キリスト教者の内村には天皇は尊敬していても神だと認めることはできなかった。  
 日露戦争に反対。戦争は人を殺すこと、それは大罪悪である。名目を問わずすべての戦争に反対すると表明。  
   
★ 夏目漱石 則天去私   
1867年2月9日 – 1916年12月9日  (満49歳没)
 日本の近代は外発的開化であり皮相上滑りであると批判、日本人は自己確立が不十分であるとした  
 自己本位に生きる自由を重視し、内的な自己の確立を目指す独自の個人主義を唱える。→公案禅の影響?  
 ・父母未生以前の己本来の面目とか隻手の音などは公案そのもの  
 自己中心主義ではない。安易な自己肯定が利己主義(エゴイズム)を内包することを見つめ  
 それを乗り越える倫理を追究。天に則り私を去る、則天去私の境地に達した。 

宗教改革

★ マルティン・ルター 宗教改革 信仰義認  
 ドイツ 1483年11月10日 – 1546年2月18日 (満62歳没)
 ローマカトリック教会が免罪符を売るなど腐敗していた←95の意見書を出して教皇庁のあり方を批判 。贖宥状批判、教皇位の世俗化・聖職者の堕落への批判。
 罪深い人間を救うことは教会への寄進で決まるのではなく神への信仰のみによる。信仰義認。宗教改革。 
 聖書中心主義 内面の信仰で神と結ばれるためには何よりも聖書によらなければならない 
 万人司祭説 神を信じる者はすべて平等で等しく司祭である 
 職業召命観 職業はすべて神から与えられた使命である 
  
★ カルヴァン ルターに共鳴 スイスで宗教改革  
 (フランス→スイス) 1509年7月10日 - 1564年5月27日 (満54歳没)
 予定説 神は全知全能 どの人間が救われるかは神の自由意志で予め定まっている 人はそれを知り得ない 
 職業召命観 職業はすべて神から与えられた使命である 人はそれに禁欲に励むべき  
 職業労働で得られたものもまた神聖なものである 
 →信仰の純粋さをきびしく守ろうとするピューリタリズムへ発展(清教徒) 
 →神への信仰と世俗生活での職業労働の両立から資本主義の形成にも寄与 

 

★ヘンリー8世によって始まったイギリス国教会などが成立

15世紀西欧(神からの解放、人間の再発見、ルネサンス再生へ)

★ ピコ・デラ・ミランドラ 人間の尊厳(序列) 
イタリア 1463年2月24日 – 1494年11月17日
 神は人間を神と万物の中間に位置するもの(序列第2位)として創造したと主張
人間は自己のあり方を自由に選ぶ能力を持っているとし、自らの自由意志によって天使にも動物にも なり得ると考えた。その自由意志による自由な選択こそ人間の尊厳であるとして無限の可能性を確信。

 

★ ニッコロ・マキャヴェッリ 

イタリア 1469年5月3日 - 1527年6月21日(満58歳没)

政治は宗教・道徳から切り離して考えるべき

君主に必要なものとして法律とともに軍備そして軍事訓練や司令官の統率力を重視
『君主論』『戦術論』他、著述は政治・歴史・軍事から劇作までに及び、喜劇も書いた

16世紀 (フランス啓蒙主義/イギリス経験論/大陸合理論)

★ ミシェル・ド・モンテーニュ  随想録エセー  クセジュ

フランス 1533年2月28日 - 1592年9月13日(満59歳没)

モラリスト、懐疑論者、人文主義者
すべての形而上学を排した人間探求。実存的思考の先駆的存在

人間は動物として弱い悲惨なものであるが宇宙をもその考えの中に入れることができる偉大さも持つ。
人間をありのままにみつめ、偉大さと悲惨さ、無限大と虚無、後期と無価値といった両極端を揺れ動く中間的な存在としてとらえ、「人間は考える葦である」といった。
中間者として常におびえる人間の魂の平安を得るために、人間の弱さも強さも知るキリスト教を求めた。

<主著>『エセー(随想録)』


★ フランシス・ベーコン  知識は力なり 帰納法 経験哲学の祖 近代実験科学ここに始まる

イギリス 1561年1月22日 - 1626年4月9日) 鶏の冷凍実験中の発熱が元で死亡(満65歳没)

イギリス経験論。アリストテレスは経験と観察を重視し万学の祖といわれたが、自然に手は加えなかった。自然に手を加えることでどう変化するか、すなわち実験を提唱したのがベーコン。

神・宗教から切り離した自然を、神ではなく人の理性で観察する、それが実験。 

実験という、理性による経験の、結果の蓄積から共通するものを導き出すのが、科学であり帰納法である。実験観察から得た知識で、自然をより人間に役立つものに変えていくことができる。
自然研究の究極の目標は自然の技術的支配にあると主張。知は力なり。
4つのイドラ(人間の陥りやすい偏見、先入観、誤り)、現実の観察や実験を重んじる「帰納法」、

<主著>『ノヴム・オルガヌム―新機関』 、『学問の進歩』、『森の森』


★ トマス・ホッブズ  万人の万人に対する戦い リヴァイアサン

イギリス1588年4月5日 - 1679年12月4日(満80歳没)

機械論的世界観の先駆的哲学者、絶対王政擁護 

自然状態に於ける生とは「孤独、貧困、不快、粗暴、短い」
人間は本来利己的で、欲求のまま自由に力を行使する自由権を持っており、権利の行使が 
 制約されなければ、万人の万人に対する戦いに陥り、自己保存の権利すらおびやかされる。 
 平和維持を目的・任務として多くの人の利己心を規制するためには、怪物リヴァイアサンのように  強大な権力を持つ絶対王政が最良の統治形態である。→王権神授説の元ともなる。 

社会契約伝統の近代創設者

<主著>『リヴァイアサン』


★ ルネ・デカルト   コギトエルゴスム 我思う故に我あり 合理論 演繹法 

フランス1596年3月31日 - 1650年2月11日(満53歳没)

合理主義哲学(大陸合理論)
近代哲学の祖。スコラ哲学に対する失望から、数学を愛し自然の科学的研究にいそしんだ。

機械論的世界観の先駆的哲学者。決定論的(運命論的)因果関係で世界を説明しようとするもの。縁起に近い。
方法的懐疑論者 すべての感覚や経験は実在するのか 目で見えているものは本当に存在するか? さらには自分の肉体の存在さえ疑ったが その疑っている主体 考えている私 は実在すると確信した
経験は肉体の感覚で捉えるもので確実ではない、だが理性だけは疑いなく存在する。
その理性により演繹して世界をとらえる。こうだからこう。私は考える、だから私はある、だから理性はある、だから…。 考える私をスタート地点とし、理性による推論(合理論)という演繹法で真理を探究する。
 この肉体や物質の存在は疑いの対象であり、理性が疑いの主体であるという物心二元論が近代的自我論の嚆矢
方法的懐疑、実体二元論、直交座標(数学)
「我思う、ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム)」

<主著>『みずからの理性を正しく導き、もろもろの学問において真理を探究するための方法についての序説 およびこの方法の試論(屈折光学・気象学・幾何学)』、『省察』、『世界論』、『情念論』

17世紀

★ ブレーズ・パスカル   数学者・物理学者・代表的モラリスト 考える葦 

フランス1623年6月19日 - 1662年8月19日(満39歳没)

<主な概念>
パスカルの定理、パスカルの三角形
「人間は考える葦である」

人間は動物として弱い悲惨なものであるが宇宙をもその考えの中に入れることができる偉大さも持つ
 人間をありのままにみつめ、偉大さと悲惨さ、無限大と虚無、後期と無価値といった両極端を揺れ動く 中間的な存在ととらえ「人間は考える葦である」といった。
 中間者として常におびえる人間の魂の平安を得るために、人間の弱さも強さも知るキリスト教を求めた

<主著>『パンセ』


★ ジョン・ロック   社会契約説 必要悪の政府 

イギリス1632年8月29日 - 1704年10月28日(満72歳没)

イギリス経験論
タブラ・ラーサ、「被統治者の同意に基づいた政府」、自然状態、生命の権利、自由と財産権、「事象記述の平明な方法」

王権神授説を否定。国民主権に基づく議会制民主主義を提唱。
 人間は自然状態において自由と平等が保たれている。なぜなら他人の権利を侵してはならないということを 理性が知っているから(自然法)。ただし自然法を公平に判断する公的機関がないと平和は不安定である。
 その公的機関として各人が契約を結び国家を構成する。人々は立法権と執行権をその政府に信託する。
 権利を濫用する政府に対して国民は抵抗権・革命権を持つ。人間が本来持っている自由権の一部を ゆだねる政府とは、平和維持のための必要悪であり、本来は自然に自由に生きるべきである。

<主著>『統治二論』(『市民政府二論』)、『人間知性論』


★ バールーフ・デ・スピノザ  神即自然

オランダ1632年11月24日 - 1677年2月21日(満45歳没)

合理主義哲学(大陸合理論)
ユダヤ教団から思想上の理由で破門とされる。

神即自然の汎神論は、無神論(汎神論論争なども参照)や唯物論に強い影響を与えた
心身平行論「我は思惟しつつ存在する(Ego sum cogitans.)」

<主著>『エチカ』、『神学・政治論』、『デカルトの哲学原理』、『人間知性改善論』


★ ゴットフリート・ライプニッツ  調停と統合の哲学

ドイツ1646年7月1日 - 1716年11月14日(満70歳没)

合理主義哲学(大陸合理論)

哲学者、数学者、科学者、思想家、政治家、外交官。調停と統合の哲学。

7世紀の様々な学問(法学、政治学、歴史学、神学、哲学、数学、経済学、自然哲学(物理学)、論理学等)を統一し、体系化しようとした。
微分積分学、ライプニッツの微分の記法、モナド、予定調和、二進法、運動エネルギー

<主著>『力学要綱』、『弁神論』、『単子論』、『形而上学序説』


★ ジョージ・バークリー  存在することは知覚されること 主観的観念論

アイルランド1685年3月12日 - 1753年1月14日(満67歳没)

ロックのイギリス経験論を承継
近代の観念論的形而上学(主観的観念論)の創始者
「存在することは知覚されることである」

わたしの心は一つであり、分割することはできず、これ以上延長することもできず、形もない。ゆえに私のこころは不滅であり、これは実体である。わたしの目の前の机もわたしの身体も世界すらもわたしが知覚する限りにおいてわたしの心の中に存在する

<主著>『視覚新論』、『人知原理論』


★ シャルル・ド・モンテスキュー  『法の精神』三権分立

フランス
1689年1月18日 - 1755年2月10日(満66歳没)

フランス啓蒙主義の法学者。フランス絶対王政を批判し政治権力を分割し、
均衡と抑制による権力分立制の基礎を築く。
共和制・君主制・専制。三権分立論

<主著>『法の精神』

18世紀

★ デイヴィッド・ヒューム 

スコットランド1711年4月26日- 1776年8月25日(満65歳没)

イギリス経験論
経験論哲学

<主著>
『人間本性論』、『人間悟性の研究』、『自然宗教に関する対話』


★ ルソー 自然に帰れ  
 スイス1712年6月28日 – 1778年7月2日(満66歳没)
 フランス啓蒙期の思想家。社会契約、ロマン主義、共産主義の先駆者。

人間は自然本来において善良な未開人である。文明により競争や嫉妬にゆがめられた状態に堕落した。 自然に帰れ。

人間は生まれながらに自由であるはずだが、土地私有などの財産的不平等という、 鉄鎖につながれてしまった。自然の状態に近づけるために新しい社会契約が必要である。
 各個人の自由意思のうち、公共の利益だけを目指す意思を一般意思とよび、個人の利益を目指す意思を 特殊意思とよぶ。全体意思とは特殊意思のみの総和とする。政治は直接民主制により行う。
 人は各自の自由と権利のすべてを国家にゆだねる。政府は一般意思によって統治する。
 このとき各人は統治されながらも自由である。(政府が行使しているのは自分の発した一般意思だから)

<主著>『社会契約論』、『エミール』、『ジュリ または新エロイーズ』、『人間不平等起源論』

 

★ ドゥニ・ディドロ  百科全書

フランス1713年10月5日 - 1784年7月31日(満71歳没)

百科全書派の中心人物。啓蒙主義哲学者

<主著>『百科全書』(ディドロは第二巻「美」の項目を執筆)、『盲人書簡』

★ アダムスミス 神の見えざる手 「経済学の父」『国富論』
 スコットランド・イギリス1723年6月5日 - 1790年7月17日(満67歳没)
 資本主義の発展により肥大する社会システムの中で人間疎外が進む一方、個人の主体性を見つめ直そうと いう動きも現れる。資本主義社会において人間は自己の利益のみを追求しがちになるが、社会全体の 公共性が損なわれるのではないかといった懸念に対し、アダムスミスは、各個人の利己的な行動の集積が 社会全体の利益をもたらすという調整機能があるとし、神の見えざる手と呼んだ。市場経済の自動調節機構。
 <主著>『国富論』、『道徳感情論』

★ イマヌエル・カント ドイツ観念論 経験論と合理論の批判的統合 対象が認識に従う 
ドイツ 1724年4月22日 – 1804年2月12日(満79歳没)
バークリーの観念論、あるいは経験論を批判し、ドイツ観念論哲学の基盤を築く。
尊敬するルソーの著述によって、学識よりも人間性に根ざす心情や道徳心、尊敬心の重要性に
 気づき、人間に対する新たな考察を始めた。
 経験論は不可知論に遮ぎられ、合理論は独断に陥る。認識が対象に従うのではなく対象が認識に従うのだ。
 人間の最高の目的は幸福にあるのではなく、幸福を受けるに値する人格の形成にある。
 自由とは欲求に従うことでなく、内なる道徳律に従うことである。善の意思で行動することは善である。
 簡単にまとめる。自分ルールが世界ルールである行動は善である。自然法則は真である。美は自他の認識である。
 <主著>『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』、世界平和のために…

 

★ モーゼス・メンデルスゾーン     ユダヤ啓蒙思想

ドイツ1729年9月6日 - 1786年1月4日(満57歳没)

啓蒙思想家。カントの批判哲学を論難した人物の一人

ユダヤ教徒の身分的解放。ユダヤ教徒にも人間の権利として市民権が与えられるべき。

<主著>『暁―神の現存についての講義』、『レッシングの友人たちへ』


★ ジェレミ・ベンサム 功利主義 快楽の量 最大多数の最大幸福 
 イギリス 1748年2月15日 – 1832年6月6日(満84歳没)
 快楽を求め苦痛を避けるは人間の本性であり、快楽と幸福は一致する。
 行動の善悪は動機の善悪によるものではなく、快い結果をもたらすかどうかによる。(功利主義)
 しかし各人が自分の快楽、幸福だけを追求していけば社会は混乱する(神の手は経済のみ)。
 快楽を量的に計算し、最も多くの人に対し最も大きな幸福をもたらす行為が最善であるとした。最大多数の 最大幸福。 これは多数決の精神的原理となり、普通選挙法制定の指針ともなった
<主著>『道徳及び立法の諸原理序説』

 

★ ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ  知識学

ドイツ1762年5月19日 - 1814年1月27日(満52歳没)

ドイツ観念論、、カント哲学に応えようとして知識学の構想に至った

人がどんな哲学を選ぶかはその人間がどんな人間かによる

<主著>『あらゆる啓示批判の試み』、『全知識学の基礎』、『人間の使命』、『ドイツ国民に告ぐ』

★ ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル 弁証法 止揚 絶対精神 理性の狡知 
 ドイツ1770年8月27日 - 1831年11月14日(満61歳没)
弁証法は矛盾対立するものを偽とせずに統一することでより高い境地のものを生もうとする思考法、止揚。主人と奴隷の弁証法

歴史は絶対精神が人間の本質である自由を実現していく過程 (絶対精神は世界精神として現れる)
 絶対精神はみずからの情熱に基づき活動する個人の背後に控え、自己の目的と一致するものを成功させて 英雄となし、他のものを没落させる(理性の狡知)。
 客観的な法と個人の良心を統一した人間共同のあり方を人倫と呼び、国家は人倫の最高形態であるとした。
カントを、人間の内面にのみ注目し、内なる道徳律に従うことを主張したが、法などの外部構造は置き去りにしたと批判した。

 

★ フリードリヒ・シェリング 

ドイツ1775年1月27日 - 1854年8月20日(満79歳没)

ドイツ観念論。一貫or変転
フィヒテの「自我の哲学」に影響を受けるが、のちに訣別

<主著>『先験的観念論の体系』、『人間的自由の本質』

 
★ アルトゥル・ショーペンハウエル ペシミズム厭世主義 盲目的意志 
 ショーペンハウエル(独) 1788年2月22日 - 1860年9月21日
 真の実在は盲目的な生存意志であるとし、個々の人間の中に意志として現れ、盲目的意志の衝突が 相継ぐ結果、苦痛に満ちた人生を送らざるを得ないという厭世哲学を主張。この苦痛から解脱する道は、 芸術活動に専心して個体の意志を克服するか、個体はすべて同一の形而上学的本質をもつ意志であると 自覚し、他人の苦痛への同情を根拠として倫理的に解脱するか、のどちらかであるとした。
 仏教精神そのものといえる思想と、インド哲学の精髄を明晰に語り尽くした思想家。
 過去世、未来世を否定。人は死んだら終わりという思想。唯物論を否定。無神論者。
 皮肉たっぷりのアフォリズムが面白い。
 ・医者は人間を弱いもの、弁護士は人間を悪いもの、牧師は人間を愚かなものとみる。
 ・我々の肉体が衣服に包まれているように、われわれの精神は虚偽に包まれている。
 ・一般に、男性のあいだでは愚かで無知な男が、女性のあいだでは醜い女が愛され、ちやほやされる。
 ・われわれの人生の場景は粗いモザイクの絵に似ている。この絵を美しいと見るためには、それから
  遠く離れている必要がある。間近にいてはそれは何の印象も与えない。
 ・人は通常、金を貸すことを断ることによって友を失わず、金を貸すことによってたやすく友を失う。
 ・障害者はその障害を乗り越えようと思ったとき幸せになれる。
 ・全ての享楽と、全ての幸福とは消極的なものだが、苦労は積極的なものだ。
 ・結婚とは、男の権利を半分にして義務を二倍にする事である。
 ・謙遜(けんそん)というものは、平凡な能力を持つ人間の場合には単なる誠実であるが、
  偉大な才能のある人間の場合には偽善である。
 ・人間の幸福の敵は、苦痛と退屈である。
 ・孤独は、すぐれた精神の持ち主の運命である。
 ・推理する能力を持っている人はたくさんいるが、判断する能力を持っている人は少ししかいない。
 ・紙上に書かれた思想は、砂上に残った歩行者の足跡に過ぎない。歩行者のたどった道は見える。
  だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。
 ・人の社交本能も、その根本は何も直接的な本能ではない。つまり社交を愛するからでなく、
  孤独が恐ろしいからである。
 ・宗教とは蛍のようなものだ。光るためには暗闇を必要とする。
 ・信仰の強制は、不信仰を喚起するだけである。
 ・人はその生涯の40年間で本文を著述し、これにつづく30年間において、前者についての注釈を付加する。
 ・富は海水に似ている。飲めば飲むほど喉が渇く。 名声についても同じことが当てはまる。
 ・人は何でも忘れる事が出来るが、自分自身だけは、自分の本質だけは忘れる事はできない。
 ・読書しているときは、われわれの脳はすでに自分の活動場所ではない。それは他人の思想の戦場である。
 ・老年の歳月における人生は、悲劇の第五幕に似ている。 人間は悲劇的な最後が近いことは知っているが、
  それがいかなるものであるかは知らない。
 ・読書は他人にものを考えてもらうこと。 本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるに過ぎない。
 ・知は力なり……とんでもない!きわめて多くの知識を身につけていても、 少しも力を持っていない人もあるし、
  逆になけなしの知識しかなくても最高の威力を振るう人もある。 

<主著> 『意志と表象としての世界』、『余禄と補遺』

★ オーギュスト・コント 社会発展段階説 実証主義 社会学の創始者 
 フランス1798年1月19日 - 1857年9月5日(満59歳没)

実証主義哲学。経験的事実に基づいて理論や仮説、命題を検証し、超越的なものの存在を否定しようとする立場
人間の思考は学問研究でも,日常生活の思考でも,神学的,形而上学的,実証的という3つの段階を経て 発展する。社会発展もこの3段階である。社会発展論・三段階の法則。
実証主義の考え方①現実的②有用③確実④正確⑤建設的⑥相対的で社会の変化を解明する社会学を創始、社会学の基礎(社会動学、社会静学、実証哲学)の提唱
近代社会の中心は産業ではなく科学であるとし、科学者と産業者の共同政治による産業社会の実現を目指した。

19世紀

★ ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ  、唯物論

ドイツ1804年7月28日 - 1872年9月13日(満68歳没)

ヘーゲルに師事し、のちに訣別。唯物論的な立場から、キリスト教を批判。
マルクス、エンゲルスらに多大な影響を与える。ヘーゲルとマルクスの橋渡しをしたとされる。

<主著>『キリスト教の本質』、『ヘーゲル哲学批判のために』


★ ジョン・スチュアート・ミル   功利主義(改) 不満足なソクラテス 量よりも質 

イギリス1806年5月20日 - 1873年5月8日(満67歳没)

父親がベンサムの信奉者、自然ベンサムの弟子となったが本能的快楽の追求では精神は満たされないと別路線へ
 「満足した豚よりは不満足な人間である方がよく、満足した人間より不満足なソクラテスがよい」
 利己心を満足させることより利他心を満たすほうが快楽はより深い。
 多数決ではソクラテスは排されるだろうし、排された少数意見は偽とされるがそれは多数者の横暴である
 多数決政治の個人の自由に対する制限は、他者への危険の防止に限られるべきである
 少数であることは偽でも悪でもない。また多数意見に従うか否かも自己決定によるべき。

社会民主主義・自由主義思想に多大な影響を与え、晩年は自ら社会主義者を名乗る。


★ セーレン・キェルケゴール   死に至る病 美的実存 倫理的実存 宗教的実存 

デンマーク1813年5月5日 - 1855年11月11日(満42歳没)
実存主義の創始者。ヘーゲル哲学の観念的な普遍性を拒否
物質が大量生産され交通網が発達しマスメディアが迅速な情報伝達をもたらす文明社会においては、人間の主体的判断力は弱まり、常に受け身の平均化・画一化された人間、代替可能な一般大衆へと堕していく。
 死に至る病。人間がふつうのどこにでもいる取り替え可能なものとなったとき、生きる希望は絶望になる。
 絶望は生死をかけて克服すべき「死に至る病」である。キルケゴールはこの絶望・実存には3段階あるとした。
 美的実存 行動選択の理由が美や快楽の段階 あれもこれも欲しい 手に入らず挫折自己嫌悪し絶望
 倫理的実存 人間の精神性に目覚め人間らしい生き方を求める あれかこれか 達成できず絶望か 達成した気の傲慢 
 宗教的実存 度重なる絶望ののち自己のすべてを神にゆだねる 信仰により絶望を克服し実存にいたる。
 <主著>『死にいたる病』、『哲学的断片』、『不安の概念』


★ カール・マルクス   共産主義

ドイツ(ブロイセン)1818年5月5日 - 1883年3月14日(満64歳没)
科学的社会主義の共同創設者(フリードリヒ・エンゲルスと共に)、史的唯物論、

剰余価値、労働者の搾取、階級闘争
 産業社会では生活の糧を得る労働が自己実現と同時に人間の連帯を成り立たせる。
 しかし、私有財産制のもとでは土地・建物・機会を持たない(生産手段のない)無産者は
 消耗すれば取り替える物品同様に扱われ、低賃金長時間の過酷な労働を強いられる。
 労働の成果である生産品は資本家のものとなる→労働はただ賃金を得るためだけの手段。
 ここから人間を解放するためには生産手段を共有しなければならない(共産主義)。
 労働者階級による革命は、資本家階級との対立を解決し、私有を廃棄して、階級闘争の歴史を終わらせる。
 人間本位を回復し抑圧や支配のない共産主義社会を建設する。

<主著>『資本論』、『共産党宣言』

 


 ★  ハーバート・スペンサー 社会進化論

イギリス 1820年4月27日 - 1903年12月8日(満83歳没)
社会進化論。進化は、一から多への単純から複雑への変化である。自然は一定した気温でなく寒冷と温暖を作り、平坦な地面でなく山や谷を作り、一つの季節でなく四季を作る。社会も単純な家内工業から複雑化して行き機械工業へと変化する。イギリス帝国が分裂してアメリカが出来る。

未開から文明への変化は単純から複雑への変化の一つである。その複雑さ、多様性の極致こそが人類社会の到達点であり目指すべき理想の社会。理想の国家像は、自由主義的国家。

<主著> 『社会学原理』、『倫理学原理』


 ★  ヴィルヘルム・ディルタイ  哲学的解釈学 

ドイツ 1833年11月19日 - 1911年10月1日(満78歳没)

哲学的解釈学の地位を確立した人物。生の哲学の創始者。

合理的,科学的思考に反対して,体験,直観を重視し,生を生そのものにおいてとらえること,すなわち,生を固定化したもの,硬化したものとしてとらえるのではなく,流動的なもの,非合理的なものとして把握した

<主著> 『精神科学序説』、『解釈学の成立』


 ★  エルンスト・マッハ  この世に絶対はない

オーストリア 1838年2月18日 - 1916年2月19日(満78歳没)

物理学者、科学史家、実証主義哲学者。のちの現象学へ大きな影響を与える。

当時の物理学界を支配していた力学的自然観を批判。この世に絶対はない。
哲学、物理学、科学史、心理学、生理学、音楽学など多分野にわたって活躍。音速を超える
物体の速度「マッハ数」も彼の実績による。アインシュタインの相対性理論も
マッハの功績によるところが大きい。

<主著> 『感覚の分析』、『認識と誤謬』、『力学の発達』『熱学の諸原理』『物理光学の諸原理』

 

★ チャールズ・サンダース・パース  実用主義 プラグマティズムの創始者 
 アメリカ 1839年9月10日 – 1914年4月19日(満74歳没)
  記号論、およびプラグマティズムを創始
 産業経済の急速な発展の中、知性もまた生活改善に役立つために実用的であるべきとした。
 アメリカのピューリタン精神と実験的経験論の知性で支えられた開拓者精神を土台としている。
 行動によって検証され得ないものは無意味なものであり、そのような観念・命題を学問から排除すべきだ。

 

 

★ ウィリアム・ジェームズ  実用主義の旗手 有用主義 有用なものは真  

アメリカ 1842年1月11日 - 1910年8月26日(満68歳没)

プラグマティズムの代表者。唯物論、従来の形而上学的観念論のいずれにも反対し、
根本的経験論を主張。行為において実用的価値のあるものを真理とした。
  善悪や神の存在についても実用性でとらえ、「有用なものは真である」とした(有用主義)
 また、世界を主客未分の純粋経験ととらえる根本的経験論を提唱 西田哲学の出発点となる
 (経験は実在だが、経験した主観と客観とを説明するとき既に経験とは別のものになっている)

 <主著> 『プラグマティズム』、『心理学の諸原理』、『宗教的経験の諸相』


 ★ フリードリヒ・ニーチェ 虚無主義 神は死んだ 超人思想 
  ドイツ1844年10月15日 - 1900年8月25日(満55歳没)

実存主義、反キリスト、反・反ユダヤ主義、反国粋主義
  現代を虚無主義の時代とみた。ニヒリズム虚無主義とは正邪、善悪、道徳・倫理(規範)などの存在を認めず、
 倫理命題に真偽が存在しないとするものであり、行動や生存に目的がなく価値の存在を認めない退廃思想。
 世界を虚無に陥れたのはキリスト教の禁欲的道徳である。キリスト教には弱者の怨恨が潜んでおり、強者の  繁栄する現世を否定し、救いをあの世に求めてひたすら神に服従することを求める君主-奴隷道徳にすぎない。
 その奴隷道徳が、現実を強く生きようとする人間の高貴でたくましい精神を無力化せしめた。キリスト教はまた  現代の機械文明の中では形骸化し、人生に意義を与えてきた神の力は衰えた。さあ神の死に手を貸そう。
 神は死んだ。神の死によって人間を導くものは人間がより強大になろうとする本能的な意志、力への意志である。
 大地に根ざすその力への意志の体現者こそ超人である。人間とは乗り越えられるべきものである。およそ
 生あるものは、これまで己を乗り超えて、より高い何者かを創ってきた。あなた方は乗り超えるため何をしたか。
 意味も目的もなく無限に反復する永劫回帰の世界においてニヒリズムという否定的な現実を目を背けること
 なくそのまま受け入れる運命愛により、自由で能動的な現実へと飛躍することができるのだ。ならばよし。

<主著> 『悲劇の誕生』、『反時代的考察』、『悦ばしき知識』、『ツァラトゥストラはこう語った』


 ★ ゴットロープ・フレーゲ  概念記法  数理論理学、分析哲学の祖

ドイツ 1848年11月8日 - 1925年7月26日(満76歳没)

数学者、論理学者、哲学者。数理論理学、分析哲学の祖。
アリストテレス以来の伝統的論理学を刷新。
記号論理学、述語論理、論理主義を唱える。

それまで名辞(主語-述語)で表されていた命題を,関数で表した。

さらに量化理論、関係の祖先の最初の定式化、数学的帰納法の証明の最初の論理的分析、第二階の量化、関数の関数。

<主著> 『概念記法』

結合子と限量子は,今日使用される¬,∧,∀ではなく,式をつなぐ線を用いて書かれる。たとえば,Bという判断に材料として判断Aが含まれること(実質含意),すなわちB→Aは、右図のように書かれる。

フレーゲは,命題(「判断」),全称量化子(「一般性」),条件法,否定,内容の相等性のための記号のような基本的アイデアと表記法を定義する。

 フレーゲは命題論理と述語論理の公理化を最初に行った人物であり、特に述語論理はそれ自体がフレーゲの発明である(実際には概念記法は高階論理の体系であり、ラムダ計算の祖ともいえる極めて先駆的なものである)。しかしそのあまりもの先進性、独創性(そしてひょっとしたら彼の既存の説への激しい攻撃)ゆえにフレーゲの同時代にはその意義は十分に理解されなかった。


★ ジークムント・フロイト 無意識 リビドー(性的欲動)デストルドー(自己破壊欲求、死への欲動) 
ドイツ1856年5月6日 - 1939年9月23日(満83歳没)

 人間の行動の根底には抑圧された性的欲動がある。心の深層には広大な無意識の領域があり
そこに性的衝動など本能的な欲望が抑圧されて蓄積され、行動のエネルギー源となっている。

局所論(意識・前意識・無意識)、 構造論(自我・超自我・イド)
 性的発達理論(口唇期・肛門期・男根期・エディプス期・潜伏期・性器期)
 生の本能(エロス)・死の本能(タナトス)

超自我(良心)⇄自我(調整役)⇄無意識(欲望、性的衝動)イドまたはエス
 無意識はひたすら欲望を満たし快楽を得ようとする
 両親や権威などからの教育から構成される超自我
 超自我は無意識の欲求を拒否し禁止する
 自我は両者を調整して現実的な行動をとらせようとする 

超自我によって抑圧された欲望はコンプレックスとなる
 →芸術や文化を創造する意欲にもなるが
 自我が未発達だったり衰弱したりすると神経症にもつながる

現代の高度管理社会は、非合理な欲望を異常視し、欲求不満を解消する方法すら抑圧するから  神経症になりやすい。
人間を理解する上で重要なのは無意識の性的欲動であるというフロイトの発見は、ギリシャ哲学以来の理性中心主義であった思想界に打撃とも言える大きな衝撃を与えた
また自己破壊衝動も人間の根本的衝動とみて、人類が最後のひとりまで殺し合う力を持ったことが、現代人の焦燥や不安の大きな原因になっていると考察した。
 フロイトのこれらの考えは、精神医学や臨床心理学などの基礎となったのみならず、 20世紀以降の文学・芸術・人間理解に広く甚大な影響を与えた。

<主著>  『夢判断』、『精神分析入門』


 ★ フェルディナン・ド・ソシュール 構造主義の創始者 思考は言語で規定される 

スイス 1857年11月26日 - 1913年2月22日(満56歳没)

近代言語学、構造主義の祖とされる。
  言語理論(通時言語学/共時言語学、ラング/パロール、シニフィアン/シニフィエ)、
 記号論、「言語は差異の体系」
構造主義。あらゆる現象に対して、その現象に潜在する構造を抽出し、その構造により現象を理解・解明、場合によっては制御する方法論。言葉とは人間がその認識に従い存在を切り分け、その関係性を現したもの。
  自由で主体的なはずの個人の言語使用、それによる会話や思考も、歴史的社会的に形成された社会的な 言語の体系・構造に無意識的に規定されている。

つまり言葉は対象を表さない。だが表意文字は?その表意文字による思考は?日本語は?
  <主著> 『一般言語学講義』

 

★ エトムント・フッサール 現象学

オーストリア 1859年4月8日 - 1938年4月27日(満79歳没)

フレーゲの影響を強く受ける。現象学の創始者  「事象そのものへ」

「現象学」は主観的意識から現象の背後にある絶対精神を把握する哲学の手引き

<主著>  『純粋現象学、及び現象学的哲学のための考案(イデーン)』、『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』


★ アンリ・ベルクソン 時間と自由意志

フランス 1859年10月18日 - 1941年1月4日(満82歳没)

知性主義、実証主義への対抗

これまで「時間」と呼ばれてきたものは、空間的な認識を用いることで、本来分割できないはずのものを分節化することによって生じたものであると批判した。そして、ベルクソンは、空間的な認識である分割が不可能な意識の流れを「持続」("durée")と呼び、この考えに基づいて、人間の自由意志の問題について論じた。この「持続」は、時間/意識の考え方として人称的なものであり、哲学における「時間」の問題に一石を投じたものといえる。
実在を持続の流動とする立場から、心(記憶)と身体(物質)を「持続の緊張と弛緩の両極に位置するもの」として捉えた。そして、その双方が持続の律動を通じて相互にかかわりあうことを立証した。

<主著>  『意識に直接与えられたものについての試論』(『時間と自由意志』)、『物質と記憶』、『創造的進化』

 

★ デューイ 実用主義の大成者 道具主義

アメリカ  1859年10月20日 – 1952年6月1日(満92歳没)
知性は人間を環境に適応させる道具である(道具主義)。実験的な創造的知性を育てる教育を提唱。
観念や理論の真偽は、結果を生む道具としての作業能力にかかわる。
民主主義は、他人と関心を共有し、経験を相互に拡大して問題解決の実践能力を高める共同の生活様式

 

★ マックス・ヴェーバー 唯物論への反証

ドイツ 1864年4月21日 - 1920年6月14日(満56歳没)

社会学者・経済学者。唯物論への反証、社会科学におけるさまざまな方法論の整備。
宗教社会学、支配の三類型(「合法的支配」「伝統的支配」「カリスマ的支配」)、「価値自由(Wertfreiheit)」

西洋近代の資本主義を発展させた原動力は、主としてカルヴィニズムにおける宗教倫理から産み出された世俗内禁欲と生活合理化であるとした。これは当時のマルクス主義における、「宗教は上部構造であって、下部構造である経済に規定される」という唯物論への反証でもある。

<主著>  『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、『職業としての学問』

 
★ ガンディー 非暴力不服従 
 インド1869年10月2日 – 1948年1月30日(満78歳没)
  宇宙や人間の根源にある唯一絶対の真理の把持を理念に、非暴力不服従を貫きインドを独立に導いた。
 ① 自己を浄化して、肉体的・物質的な欲望にうち勝つ
 ② すべての生き物を同胞とみなして殺生に反対。肉食を禁じ戦争を放棄する。
 暴力に対しても、あくまで人間愛と自己制御で抗議、苦難を甘受することを通して
 相手に自己の不正を悟らせる非暴力主義を貫く。根底には人間性への深い信頼がある。

  

★ アドラー 個人心理学 課題の分離 嫌われる勇気 共同体感覚
   オーストリア1870年2月7日 – 1937年5月28日(満67歳没)
 個人をそれ以上分割できない存在と考える(意識・無意識も分けない、肉体と精神も分けない)。
 人間の生は、個人という全体が個人の必要な機能等を使って、目的に向かって行動している、とみている。
 目的とは、劣等感を自覚する状態を脱し優越感を覚える状態になることである。人間は、自分があたかも
 相対的マイナスの状態にあるかのように感じているので、それを補償するために相対的プラスを目指す。
 自分の課題と他者の課題を分離する。自分は他者の人生でなく自分の人生を生きる。自由になるためには
 他者の承認を必要としない。すなわち嫌われる勇気が必要である。と同時に共同体感覚を育てていく。
 自分の利益だけでなく同時に共同体の利益になるかどうかを行動の目的とする。より大きな共同体ではどうか。
 自分が他者の役に立っていると実感したとき、自己の価値をより大きく感じられる。
 自己受容・他者信頼・他者貢献の3つを一体のものとして果たしていくことが共同体感覚を育てることである。
  
★ 西田幾多郎(にしだ きたろう) 西田哲学 真の自我 善の実現 京都学派の創始者

日本 1870年6月17日 - 1945年6月7日(満75歳没)
場所的論理、絶対無、絶対矛盾的自己同一論。
物質・客観重視の西洋哲学と精神重視の東洋の禅をかけあわせた西田哲学。

主観と客観、精神と物質を区別しない主客未分の直接的な経験「純粋経験」こそが実在。真の自我による経験。 
 純粋経験は、知性・感情・意志がともにはたらいて、まず全体が直接的にとらえられそれから部分が区別される。 美しい風景に我を忘れていたり、創作に没頭していたりするときに経験する世界。
知性・感情・意志の一体が善の実現につながる。

 

 ★ 鈴木大拙 霊性の自覚 即非の論理

日本  1870年11月11日 – 1966年7月12日(満95歳没)
東洋の禅を欧米各地に広める 近代日本最大の仏教者
 なにか2つのものを包んで、2つのものがひっきょうずるに2つでなくて1つであり、また1つであってそのまま  2つであるということを見るものがなくてはならぬ。これが霊性である。霊性の目覚めから、それが精神活動の  諸事象の上に現われる様式には、各民族に相異するものがある。日本人の真の宗教意識、日本的霊性は、 鎌倉時代に禅と浄土系思想によって初めて明白に顕現し、その霊性的自覚が現在に及ぶと述べる。
即非の論理。縁起、空の実践的再考察。例、『私は健常者だ』と考えることが、差別の始まりである。
 
★ 幸徳秋水 無政府主義 大逆事件
日本 1871年11月5日 – 1911年1月24日(満39歳没)

はじめ社会主義、日露戦争時「戦争は列国の経済的競争の激甚なために起こるもの」として非戦論を展開、  渡米しアナキズム思想を獲得、議会主義を排して直接行動論をとるにいたる。

無政府主義とは、一切の政治的、社会的権力を否定し、個人の完全な自由と独立をのぞむ思想である。

社会主義運動が急進的傾向を強めると政府はこれを徹底的に弾圧。
明治天皇の暗殺計画に関与した容疑で逮捕、処刑された。のちに無関係であったことが判明した。

 


 ★ バートランド・ラッセル  ラッセルのパラドックス

イギリス 1872年5月18日 - 1970年2月2日(満97歳没)

ヘーゲルの影響から逃れフレーゲの影響を受ける。ウィトゲンシュタインとは相互に影響し合う関係
  分析哲学、論理的原子論、記述理論、既知知識、記述知識、
ラッセルのパラドックス (床屋のひげ)、ラッセルのティーポット(科学的に反証不可能な主張をしている人間に哲学的な議論における立証責任がある)

<主著>  『数学原理』(ホワイトヘッドとの共著)、『外界についての知識』、『意味と真理への探求』


 ★ エルンスト・カッシーラー   知識の現象学

ドイツ 1874年7月28日 - 1945年4月13日(満71歳没)

哲学者、思想史家、新カント派。 知識の現象学。

シンボル=象徴体系としての文化に関する壮大な哲学を展開。

<主著>  『認識問題』、『国家の神話』、『カントの生涯と学説』

 

★ アルベルト・シュバイツァー  生命への畏敬
   ドイツ・フランス 1875年1月14日 – 1965年9月4日(満90歳没)
神学者・哲学者・医者・オルガニスト・音楽学者。アフリカに渡り医療活動に従事 密林の聖者とよばれた。
戦争をはじめとする現代文明の生み出した非人間的状態に直面、それを克服するために生命への畏敬を説く。

自分は、生きようとする生命に囲まれた生きようとする生命である。すべての命あるものに畏敬の念を抱く。
デカルトの心身二元論に基づく文明のあり方を批判。人間の倫理的な立場は、人間のみならずすべての生命を敬い、すべての苦しむ生命を助けるようにつとめることにある、と考えた。
 


★カール・グスタフ・ユング  集合的無意識 元型

スイス 1875年7月26日 – 1961年6月6日(満85歳没)

フロイトは無神論を支持したが、ユングは神の存在に関する判断には保留を設けた。

フロイトとアドラーの心理学を比較、・吟味し、両者の心理学は双方の心性の反映であるとし、外的な対象を必要とする「性」を掲げるフロイトは「外向的」、自身に関心が集中する「権力」に言及するアドラーは「内向的」であるといった考察をし、別の視点からの判断を考慮に入れた。

無意識の領域に、コンプレックスからなる個人的無意識よりも深い領域があり、そこに人類共通の

 集合的無意識があるとした。(国・言語・時代を超えた神話宗教など普遍的な世界)
 その集合的無意識の中に個人の創造的な精神活動や人格形成の源泉(元型)があるとした。
 アニマ(男性の中にある生命的要素の元型、理想的女性の形か)、アニムス(女性の中の理性的要素の元型)
 自我(エゴ)、影(シャッテン)自我補完作用のある元型、太母(グレートマザー)大地母神、老賢者、ペルソナ

 

★ 柳田国男 遠野物語 民俗学
 日本 1875年7月31日 – 1962年8月8日(満87歳没)
  日本人とは何か?の答えを、民衆の生活や民間伝承の中に見いだそうとして各地を調査旅行した。
 多数の著作は日本の民俗学を開拓したもので現在も読まれづけている。
 鎮守の森の重要性など、今こそ考えるべき問題も多く提唱している。
  


 ★ マルティン・ブーバー 対話の哲学

オーストリア・イスラエル 1878年2月8日 - 1965年6月13日(満88歳没)

ユダヤ系宗教哲学者。  「我と汝」、「我とそれ」

対話の哲学とは「我」と「汝」が語り合うことによって世界が拓けていくという、端的に言えばユダヤ教の教義を哲学的に洗練したものとされる。

<主著>  『我と汝』


★ 与謝野晶子 みだれ髪 君、死にたまふことなかれ
 日本 1878年12月7日 – 1942年5月29日(満69歳没)
  「出産する女は穢らわしく戦争に出る男は尊い」といった偏頗な考えを打破しようとした
 女性の官能をおおらかに歌う歌人であり、12人の子供を産み育て、女性解放思想家としても活躍


 ★ カール・ヤスパース 限界状況 超越者 実存的交わり

ドイツ1883年2月23日 - 1969年2月26日(満86歳没)

精神医学者。 実存主義。キェルケゴールの影響を強く受ける。
客観的な科学的知識により人間を解明するには限界がある。認識の対照とならない実存とは?
人生には変化させることも乗り越えることもできない大きな壁がある(限界状況;戦争、死、苦悩)。
限界状況に直面すると挫折や絶望を経験する。この挫折において、有限な自己とそれを超えて世界を支えている超越者の存在に気づく。ここで存在からの賜物である実存に目覚める。

人間は他者との交わりの中で人間たり得るのだが、実存に目覚めた人間は(その他大勢でなくONLY ONEとなるため)他者との断絶に気づいて孤立する。この孤独な実存は、自己を隠す日常的な交わり(つきあい)を断念し理性による交わりを結ぼうとする。これを実存的交わりという。孤独と共同との緊張関係のもとで、他者と愛しつつたたかう「愛しながらのたたかい」(互いがオンリーワン)が人間を自己の実存に目覚めさせる。
 <主著> 『精神病理学総論』、『哲学』、『理性と実存』


★ 田邊元(たなべ はじめ) 京都学派  種の論理 

日本 1885年2月3日 - 1962年4月29日(満77歳没)

西田幾多郎とともに京都学派を代表する思想家。『存在と時間』で一躍有名になる前のハイデガーに個人教授を依頼し交友。ハイデガーの前期思想を最初に日本に紹介した人物。
種の論理(国家を第一原理にしつつも、国家の暴走を防ぐための哲学の構想)

集団は多くの個人からなっているが、個人は先の述べたように多くのアイデンティティーからなっている。個人の自由をめぐるさまざまな近代的幻想を否定して、宇宙的諸力がせめぎあう「種」の場に形成される拘束力が、逆に、人間に自由を与えるものであることを語るのである。「種」は、類・種・個という概念の三つ組みのうちの中間に当たる。

<主著>  『種の論理の弁証法』、『実存と愛と実践』、『懺悔道としての哲学』

 
★ 平塚らいてう 元始、女性は太陽であった
  平塚らいてう 1886年2月10日 – 1971年5月24日
 女性解放運動家。25歳の時、雑誌「青鞜」発刊に寄せた「元始、女性は太陽であった」の一文は
 女性の権利獲得運動を象徴する言葉として広まった。
 良妻賢母思想から脱却し真の男女平等を目指す。
 
★ 九鬼 周造(くき しゅうぞう) 「いき」の構造

日本 1888年2月15日 - 1941年5月6日(満53歳没)

実存主義、京都学派。

九鬼の哲学は「二元性」という特徴を持つ。まず、西洋と日本との伝統のあいだでの二元性。この問題は『「いき」の構造』へと結実していく。さらに、偶然性」と「必然性」あるいは「自己」と「他者」の二元性。この問題から結実するのが、主著『偶然性の問題』である。

「いき」を構成する第一の要素は異性に対する「媚態」。 媚態とは、恋愛において、自他の不安定な関係から生まれる緊張のこと。「いき」のうちにみられる「なまめかしさ」「つやっぽさ」「色気」などはこの緊張のあらわれ。自他の不安定な関係こそが媚態の根本要素であり、異性同士が完全に相思相愛となって、不安定な緊張がなくなると、媚態はおのずと消滅する。

<主著>  『「いき」の構造』、『偶然性の問題』、『人間と実存』

 

★ ルース・ベネディクト 菊と刀 恥の文化
  ルース・ベネディクト(米) 1887年6月5日 – 1948年9月17日(満61歳没)
  アメリカの文化人類学者。日本文化を説明した「菊と刀」の著者。女性。
 日本社会の階層制度を前提に、忠・孝・恥・道・修養などの価値規範を分析。
 西洋文化は罪の文化であるのに対し、日本文化は恥の文化であると喝破。善悪ではなく文化の違い。
 罪…内面の良心が道徳規範。恥…外面の批判が道徳規範。いかなる文化も独自の価値基準を持つ。
 契約や法を厳守する西洋と、世間体や体裁を重視し法はまあまあですます日本。


★ 和辻哲郎 個人主義的西洋倫理を批判  間柄的存在
  和辻哲郎 1889年3月1日 – 1960年12月26日
 人間とはもともと個人のみを表す言葉ではなく、同時に人と人との間柄を示すもの
 個人も社会もそれ自体として存在するものではなく、人間という言葉のもつ2つの側面の現れである
 人間は間柄的存在である。人間のあり方としてこの2つの側面を動的に行き来するものである。
 個人として、社会の中に埋没せずそこから背き出て自我を確立する
 社会的存在として、自我を否定し社会の全体の一存在になる
 この動的関係が偏ると、利己主義または全体主義に陥る。


 ★ ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン 言語批判 分析哲学の創始者
  オーストリア1889年4月26日 - 1951年4月29日(満62歳没)

ラッセルに師事。ラッセルのパラドクスを解決する。 フレーゲの影響を強く受ける。
 言語論的転回、言語ゲーム、私的言語、家族的類似性、
 「語りえぬものについては沈黙しなければならない」
  神や善、意志などの伝統的な哲学問題は言葉では語り得ないもの、言葉の限界、抽象度を超えている。
 「およそ語りうるものは明晰に語りうる。そして語り得ないものについては沈黙しなければならない」
 哲学は思考不可能なものを内側から思考可能なものによって限界づけねばならない。
 哲学は、真偽の検証が可能な科学と検証不可能なものと区別しその境界、限界を明らかにする(分析哲学)。
  <主著> 『論理哲学論考』、『青色本』、『哲学探究』

 

★ マルティン・ハイデッガー 現存在 決断 死への存在

ドイツ1889年9月26日 - 1976年5月26日(満87歳没)

フッサールに師事。現象学、解釈学を継承し、独自の存在論を展開した。実存主義に多大な影響を与える。
主著「存在と時間」で存在一般の意味を究明しようとし(この究明する存在を現存在とよんだ)、
本来的な存在は、たんに存在するだけでなく決断を通じて自由に自己を選び取っていくものである。
人間は過去と未来の緊張の中に生きており、未来の避けられない「死」への存在と言える。
だが、人間は有限であることを知ることが不安であり、ふだんは死から目をそらし、うわさ話や好奇心の中に生きている。避けることのできない死を現実として直視することで本来の自己、実存に立ち返ることができる。
  <主著> 『存在と時間』、『ニーチェ』、『アリストテレスの現象学的解釈――解釈学的状況の提示』


★ マックス・ホルクハイマー 批判的理性の復活 
  ドイツ 1895年2月14日 – 1973年7月7日(満78歳没)

フランクフルト学派 理性が目的を探求するものから、与えられた目的を鉄製するための道具に堕したことを批判。

理性による近代化は人間を神話的魔術から解放するはずだった。しかし真に人間らしい状態に進むかわりに、新しい野蛮状態、大量殺戮兵器やそれを伴う二度の世界大戦など、に陥ってしまった。
 理性は本来、批判的な面を持つため、人間の進むべき方向を考えたり、文命のあり方を考える批判的理性
 だった。それがいつしか(与えられた目的としての)合理的な文化を築くために、人間や自然を抑圧して

効率的に管理するための道具、すなわち道具的理性へと転落してしまった。一種の思考停止である。

本来、人間の目指すべき目的や価値を批判的に探求する力のある批判的理性の復活を求める。

ショーペンハウアーのペシミズムへの共感を持つ。

テオドール・アドルノとの共著『啓蒙の弁証法』。その他の著書『道具的理性批判へ向けて』『批判的理論』等


 ★ 三木清 京都学派

日本 1897年1月5日 - 1945年9月26日(満48歳没)

京都学派を代表する哲学者。 西田幾多郎、のちにハイデッガーに師事。実存哲学を学ぶ。

新カント派の研究 パスカル研究 マルクス主義研究


  ★ フリードリヒ・ハイエク オーストリア学派。自由主義。国家の目的は強制を最小化すること。

オーストリア 1899年5月8日 - 1992年3月23日(満93歳没)

リバタリアニズム思想家・経済学者。「理性主義」批判。
政治哲学、法哲学、心理学にまで渡る多岐な業績を残す。

20世紀を代表する自由主義の思想家。ノーベル経済学賞の受賞者。

成人の私的行為であれば、それが多数派の忌み嫌うようなものであっても、国家による強制の対象としては適当ではない。国家の目的は強制を最小化することである。( 同性愛に関して)

自生的な秩序においては、個人の私的領域を守る必要がある場合にのみ強制は正当化されるのであって、強制的に個人の領域を侵害することがあってはならない。

<主な概念>  古典的自由主義

 


★ エーリッヒ フロム ヒトラーはなぜ支持されたか 自由からの逃走
 ドイツ 1900年3月23日 – 1980年3月18日(満79歳没)
自由からの逃走。現代人は自由を獲得したが、自由のもたらす孤独に耐えきれず、逆に力強く自分を導く権威への服従を求めるようになる。自我が未熟なために、自由であることを恐れる現代人は、他者と独立・対等な関係を結ぶことができず、支配と服従の関係に安住しようとする。

ファシズム信奉者達は、 ヒトラーの権威のために喜んで自己を犠牲にする一方で、自分たちより弱い立場のユダヤ人を虐殺。劣等感を解消しようとした(あるいは盲目的服従の対価とした)。

フロムの他の著書「愛するということ」もベストセラー

20世紀

★ ジャック・ラカン 鏡像段階

フランス 1901年4月13日 - 1981年9月9日(満80歳没)

フロイトの精神分析学を構造主義的に発展
鏡像段階、現実界・象徴界・想像界、対象a、父の名、大文字の他者、シェーマL

“鏡”に映った“像”としての自分をどう捉えるか?生後6ヵ月~18ヶ月鏡像段階 自分の身体の“統一性”を獲得

主体というものは、自己自身について語りつつ、知らず知らずのうちに他者となり、“他者の欲望”をもって自己に近づく。

<主著> 『エクリ』


 ★ アレクサンドル・コジェーヴ  ヘーゲル復興

ロシア 1902年4月28日 - 1968年6月4日(満66歳没)

独自のヘーゲル解釈で、ヘーゲル復興に大きく貢献した。
講義の聴講者に、ラカン、バタイユ、メルロ=ポンティなど。

<主著> 『ヘーゲル読解入門』、『法の現象学』

 

★  テオドール・アドルノ 批判的理性の復活 
  ドイツ 1903年9月11日 – 1969年8月6日(満65歳没)
  フランクフルト学派 権威主義的パーソナリティ、ファシズムスケール、社会心理学

理性が目的を探求するものから、与えられた目的を鉄製するための道具に堕したことを批判。
 ホルクハイマーとの共著『啓蒙の弁証法』。その他の著書』、『否定的弁証法』、『美の理論』

 

★ ジャン=ポール・サルトル  実存は本質に先立つ 自由の刑 自己拘束 アンガージュマン  
 フランス 1905年6月21日 - 1980年4月15日(満74歳没)

無神論的実存主義。現象学と存在論を独自の解釈で継承。

のちに実存主義とマルクス主義との融合をめざす。悪しき信念、存在と意識、有と無、即自と対自

「実存は本質に先立つ」、 人間は、こうならねばならないと決められないままこの世に存在するのが本来的で、本質が決まる前に実存する。すなわち実存は本質に先立つのである。その後、自己の可能性を未来に問い続け自分が何者であるかを、つまり自己の本質を、自由に創り上げていく存在である。人間以外は本質が実存に先立つ。魚は生まれる 前から泳ぐものである。人間は全面的に自由が与えられているが、それは責任を分け合う共犯者もいない 孤独の中で、不安に耐えて自己の現実を選び取っていくしかない自由である。全責任の中、自由の刑に 処されている(人間は本質的に自由なのだから刑を逃れることはできない)。 
人間は社会的現実に拘束されながら、同時にその現実を造りかえていく。そのような社会参加を含む自由こそ 現実の自由であるとした。実存の自由な選択は、みずからをあえて一定の束縛の元におく自己拘束である。 

<主著> 『存在と無』、『嘔吐』


★ エマニュエル・レヴィナス  存在の彼方へ

フランス 1906年1月12日 - 1995年12月25日(満89歳没)

現象学や実存主義、ユダヤ思想を背景にした独自の倫理学思想を展開
他者論、無限責任

フッサールの現象学とハイデガーの『存在と時間』から出発。ハイデガーの暴力的な存在論を排し、非暴力的な存在論の構築を目指して『全体性と無限』を著す。批判され、『存在するとは別の仕方であるいは存在することの彼方へ』(『存在の彼方へ』)を著す。

<主著> 『全体性と無限』、『存在から存在者へ』


★ ハンナ・アーレント 革命は暴力が母体

ドイツ 出身のユダヤ人 アメリカ合衆国に亡命1906年10月14日 - 1975年12月4日(満69歳没)

政治哲学者、政治思想家
ハイデッガーとは一時恋愛関係にあった

なぜ人間にナチのような行為が可能であったのかという深刻なショックと問題意識から、彼女は政治現象としての全体主義の分析と、その悪を人びとが積極的に担った原因について考え続けることになる。

アーレントは、人間の生活を「観照的生活」と「活動的生活」の二つに分ける。
観照的生活とは、プラトンの主張するような永遠の真理を探究する哲学者の生活である。
活動的生活とは、あらゆる人間の活動力を合わせたものである。

革命は戦争と分母を同じくするもの、すなわち暴力が母体である。革命がもたらしたものは「自由の経験」であり、革命の前提には、近代的な「平等」の観念がある。

<主著> 『革命について』、『全体主義の起原』、『人間の条件』


★ シモーヌ・ド・ボーヴォワール  第二の性

フランス 1908年1月9日 - 1986年4月14日(満78歳没)

サルトルの事実上の妻。サルトルの実存主義に加担
曖昧さの倫理、フェミニズムの倫理学、実存主義的フェミニズム

人は女に生まれるのではない、女になるのだ

結婚は個人を孤独から救い、彼らの家庭と子供を与えて空間の中に安定させる。生存の決定的な目的遂行である。

<主著> 『第二の性』、『老い』


 ★ モーリス・メルロー=ポンティ  両義性

フランス 1908年3月14日 - 1961年5月4日(満53歳没)

現象学、実存主義、 「両義性の哲学」「身体性の哲学」「知覚の優位性の哲学」

それまで枯れ木を見たことがない人にとっては、枯れ木を見るだけでは、名前のない枯れ木を「現象」としてしか知ることができない。「枯れ木」を恒常的に認識できるようになるためには、「枯れ木」という言葉(記号)を知る必要がある。精神と身体というデカルト以来の対立も、知覚の次元に掘り下げて指摘し、私の身体が<対象になるか><自己自身になるか>は、どちらかであるとはいえない。つまり、両義的である。一つの対象認識に<精神の中のものであるか><対象の中のものであるか>という二極対立を超え、私の身体のリアリティは<どちらともいえない>。しかし、それは無自覚な<曖昧性>のうちにあるのではなく、明確に表現された時に<両義性>を持つ。そして、その状態が<私という世界認識><根源的な世界認識>であるとした。そこには、既に言葉と対象を一致させた次元から始めるのではなく、そもそもの言葉の生成からの考察がある。

<主著> 『知覚の現象学』、『見えるもの見えないもの』


 

★ クロード・レヴィ=ストロース  構造主義を普及した立役者  野生の思考 
  フランス1908年11月28日 - 2009年10月30日(満100歳没)
  人類学者として、南米アマゾンに暮らす未開部族を調査。未開には文化や自然を調和させる仕組みや、独特の思考法があることを発見。この「野生の思考」は理性に基づく科学的思考に劣るものではないとした。
 表面的には異質で高度に見える文明人の思考にも、野生の思考と共通する構造がみられる。
 自然を破壊する文明社会のほうが未開社会より野蛮な面を持っており、自然との共生の知恵が満ちている
 未開には、文明人が学ぶべき態度があるとした。また西欧の科学的思考を、野生を飼い慣らした栽培の思考で、人工の素材による特別な思考法として著書の中で、人間に歴史を作ることを訴えたサルトルを痛烈に批判した。

サルトルの実存主義を主体偏重として批判、主体間の構造こそが重要だと主張。

 

★ マザーテレサ 名言 
 マザー・テレサ(オスマン帝国領マケドニア出身カルカッタで没)1910年8月26日 – 1997年9月5日
 愛に生きた人。愛の反対語を問われ「無関心」と答える。憎しみ恨みねたみなどは愛したいが変化。
 ① この世で一番大きな苦しみは、誰からも必要とされず愛されていないこと
 ② 身近な小さなことにおいて誠実になりなさい
 ③ 私たちは大きなことはできません。小さなことを大きな愛をもって行うだけです。
 ④ いかにいい仕事をしたかよりも、どれだけ心を込めたかです。
 ⑤(世界平和のために何をしたらいいですか)の問いに「家に帰って家族を愛してあげてください。」
 ⑥ 愛されるよりは愛することを。理解されるよりは理解することを。
 ⑦ 所有すればするほどとらわれてしまうのです。より少なく所有すれば、より自由でいられるのです。
 ⑧ 大切なのはどれだけ多く与えたかではなく、それを与えることにどれだけ愛を込めたかです。
 ⑨ 昨日は去りました。明日はまだ来ていません。私たちにはただ今日があるのみ。さあ、はじめましょう。
 ⑩ 誰かに微笑みかけること。それは愛の表現であり、その人への素晴らしい贈り物となるのです。
 

★ 丸山眞男 太平洋戦争後の民主主義のオピニオンリーダー 
 丸山眞男 1914年3月22日 – 1996年8月15日
 超国家主義が権威を失って初めて「自由なる主体となった日本国民」が登場したとした

 

★ 加藤周一 雑種の文化 
 加藤周一 1919年9月19日 – 2008年12月5日
 英仏の文化を純粋種の文化の典型であるとすれば、日本の文化は雑種の文化の典型ではないか
 雑種文化、伝統的文化と外来の種々の文化が深層で絡み合い、どちらも抜きがたいもの
 雑種とは価値判断ではなく事実の判断であるとした。
 

 

 

★ ジョン・ロールズ 公正としての正義 無知のベール 
アメリカ1921年2月21日 - 2002年11月24日(満81歳没)

社会の全構成員が承認可能な普遍的で合理的な「公正としての正義」を唱えた。
各人が「無知のベール」によって自己の能力や資力、社会的立場などを知らない原初状態では、
だれもが最も不遇な人が最大限に保護される社会を選択する。

正義は自由と平等のために発現。  「公正としての正義」を前提にしてはじめて、すべての人が人としてのよりよい生活を達成するための  社会的条件が実現されると説いた。

①人は社会生活の基本となる自由に対しては、平等の権利を持つ。
②社会の全構成員に、機会の均等が公正に与えられているという条件下において、社会的・経済的不平等は、それが最も不遇な立場にある人の福祉を促進する限りにおいて容認される。
  <主著> 『正義論』


★ 大森 荘蔵(おおもり しょうぞう)  「立ち現れ」から説く一元論

日本 1921年8月1日 - 1997年2月17日(満76歳没)
心身二元論で把握された世界のうち、「物質」についての記述ばかりしてきた科学に対し、科学の言葉では「心」を描写することはできない。そして日常世界と科学の世界は共存しうる。

「わたし」と自然との間には何の境界もなく、「わたし」の肉体とそれ以外のものに境界があるだけである。共に、「立ち現れ」である点で、私は自然と一心同体であり、主客の分別もない。

科学の可能性と限界を見極め、それとは異なる世界の眺め方を提案する。


★ ジャン=フランソワ・リオタール  ポストモダン

フランス 1924年8月10日 - 1998年4月21日(満74歳没)

ポスト構造主義の代表的人物のひとり。急進的マルクス主義者
「大きな物語の終焉」「知識人の終焉」を唱え、ポストモダンを流行語にした。

<主著> 『ポストモダンの条件』


 ★ ジル・ドゥルーズ  差異の哲学

フランス 1925年1月18日 - 1995年11月4日(満70歳没)

ポスト構造主義の代表的人物のひとり(構造主義以前から活動)、 差異の哲学

<主著> 『差異と反復』、『意味の論理学』    『アンチ‐オイディプス』、『千のプラトー』、

『哲学とは何か』(精神分析学者ガタリとの共著)歴史学、哲学、文学、精神医学、芸術、分子生物学を横断的に論じつつ、現代社会に潜伏する倒錯的な側面を、まさに倒錯的な文体で論じた。


★ 梅原 猛(うめはら たけし)  梅原日本学

日本 1925年3月20日 -

実存哲学について研究に取り組み、その後、「梅原日本学」と呼ばれる独自の世界を開拓。

膨大な著作がある。『笑いの構造』『隠された十字架 法隆寺論』『水底の歌 柿本人麿論』『共生と循環の思想』『脳死は本当に人の死か』『最澄と空海 日本人の心のふるさと』『親鸞の告白』

 

★ ミシェル・フーコー 監獄理論 画一から分散へ 
フランス1926年10月15日 - 1984年6月25日(満58歳没)

構造主義批判。ポスト構造主義の代表的人物のひとり

エピステーメー(知の枠組み)、生権力、生政治学、ディシプリン(規律)、ディスクール(言説)

 西洋の理性中心主義の限界と問題点を明らかにした。

文明社会は病気や狂気、犯罪といった、反理性的なものを日常生活から排除してきた。理性を絶対化し、公権力や近代的秩序から逸脱することを  異常とみなしてきた。しかし多様な人間や文化のあり方を、統一的な価値観を基準にして序列化することは、理性の思い上がりであり、それが社会の管理化を強めるものであったとして批判。
 人間は無意識的にその時代の支配的な知の構造に支配され思考しているとした。例えば学歴社会とか、エコブームなどの真っ最中に暮らす人間は、自分に直接関わりなくてもその時代に無意識的に合わせる。
 これはその知の構造が、各人の自覚の有無にかかわらずを監視下におき行動を制限する一種の監獄で あるといえよう。このように画一性を追求する近代的な知にかわって、異質性に着目する分散的な知を求めて、 「知の考古学」を提唱した。

<主著> 『狂気の歴史』、『監獄の誕生』、『性の歴史』


★ ユルゲン・ハーバーマス コミュニケーション理論 合意形成 対話的理性 
  ドイツ1929年(昭和4年)6月18日 - -

公共性論、コミュニケーション論
  フランクフルト学派でアドルノの助手だったこともある 
 科学技術がもたらしたシステム合理性に日常生活が支配されていく事態を批判。

人間関係が合理性に規定されるとき、法や倫理といった社会生活の基盤は切り崩される。(世界大戦)
道具的理性を排除し(戦後の)お互いの反省と理解を盗めていくコミュニケーションを通じて、合意を形成する 対話的理性の復権に期待する。自由な討議に基づく理性的な合意の形成が社会統合の基礎となると主張。
 

★ フェリックス・ガタリ 

フランス 1930年4月30日 - 1992年8月29日(満62歳没)

精神分析学者。ジャック・ラカンのもとで学ぶが、後に袂を分かつ。ドゥルーズとの共著あり。

 『精神分析と横断性』、『アンチ・オイディプス』、『千のプラトー』、『哲学とは何か』


★ ジャック・デリダ  脱構築、差延

アルジェリア 1930年7月15日 - 2004年10月8日(満74歳没)

ポスト構造主義の代表的人物のひとり

現象学から発生的観点を継承し、はじまり・起源の問題を批判的に論じた。同時に発生的アプローチに対しては構造主義的な観点から批判した。

構造は、その発生ないし生成の側面も考えないと理解することはできないとした。

差延とは、語でも概念でもないとされる造語。 およそ何者かとして同定されうるものや、そのものの自己同一性が成り立つためには、必ずそれ自身との完全な一致からのずれや、違い、逸脱といった、つねにすでにそれ自身に先立っている他者との関係が必要である。 このことを示すために、差延という概念が導入された。 論理を簡略に述べれば、同定や自己同一性は、主語になるものと述語になるものの二つの項を前提とする。

<主著> 『エクリチュールと差異』、『有限責任会社』


★ リチャード・ローティ  哲学の終焉

アメリカ 1931年10月4日 - 2007年6月8日(満76歳没)
プラグマティズムの立場から近代哲学の再検討を通じて「哲学の終焉」を論じた。ポスト哲学としてあらゆる種類の言説を相対化する文化へと移行する。 終極の語彙、 認識論的行動主義。

<主著> 『偶然性・アイロニー・連帯――リベラル・ユートピアの可能性』


★ ジョン・サール  中国語の部屋

アメリカ 1932年7月31日 -
発話行為、中国語の部屋、生物学的自然主義、存在論的主観性

言語哲学および心の哲学を専門とする哲学者。

<主著> 『行為と合理性』

 

★ アマルティア・セン 多種多様な 機能 潜在能力 よい生活 
  インド 1933年11月3日 -
 機能とは? 健康である、社会に参加できるなど、財の利用により達成できる状態や活動。
 潜在能力とは? 潜在的に達成できる機能の豊かさ、選択の自由度。
 生き方が異なる人々に対し同じ財を配分するのではなく、財を、みずからが評価する機能を実現するための
 潜在能力へ変換できる、生き方の幅を重視し、潜在能力を指標とする人間的発展を提唱した。


 ★ トマス・ネーゲル  コウモリであるとはどのようなことか

アメリカ 1937年7月4日 -

政治哲学、倫理学、認識論、心の哲学

コウモリの体とコウモリの脳を持った生物が、どのように世界を感じているのか

<主著> 『コウモリであるとはどのようなことか』、『どこでもないところからの眺め』、


★ ロバート・ノージック  リバタリアニズム

アメリカ 1938年11月16日 - 2002年1月23日(満64歳没)

リバタリアニズム。他者の身体や正当に所有された物質的財産に物理的な強制やその脅迫を開始しない限り各人が彼の望む全ての事を行う事は自由であると主張。

<主著> 『アナーキー・国家・ユートピア』


★ ソール・クリプキ 

アメリカ 1940年 -

言語哲学者。「基盤のない真理」の概念に分析を加えて自己言及のパラドックスの議論に貢献。

<主著> 『名指しと必然性──様相の形而上学と心身問題』、『ウィトゲンシュタインのパラドックス─ ─規則・私的言語・他人の心』


★ 柄谷行人 (からたに こうじん)

 日本 1941年8月6日 -

構造主義・ポスト構造主義・価値形態論の再吟味。氏への批判も多い。

<主著> 『トランスクリティーク──カントとマルクス』


★ 竹田 青嗣(たけだ せいじ) 

日本 1947年10月29日 -

在日韓国人哲学者<主著> 『言語的思考へ- 脱構築と現象学』


★ スラヴォイ・ジジェク 

スロベニア 1949年3月21日 -

ヘーゲル主義、ラカン派精神分析学、マルクス主義

<主著> 『仮想化しきれない残余』、『イデオロギーの崇高な対象』


 ★ マイケル・サンデル 

イギリス 1953年3月5日 -

政治哲学者、コミュニタリアン

<主著> 『これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学』

 http://matome.naver.jp/odai/2134187054599263901


★ ジュディス・バトラー 

アメリカ 1956年2月24日 -

フェミニズム、クイア理論、政治哲学、倫理学

性の体制が男女という「二項対立」で構成されていることを「抑圧」だと考えている。

<主著> 『ジェンダー・トラブル』 

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