個別解説1
心理学・哲学アニメの代表。19話くらいまでは少年向けアニメの感が強いが、シトの造形や各シトごとの概要の違いで後半まで見続けるとだんだん面白くなり、20話以降目が離せなくなる。サブタイトルも15話以降、秀逸。
ラストまで見終わって初めて、これはアニマとアニムスの戦いであり、ATフィールドと名付けられたエス(イド)と、シンジという自我、ゲンドウという超自我の争いというフロイト心理学そのものの話であり、フロイトお得意のリビドー・デストルドーまで出てきたら、ロンギヌスの槍が何の象徴かはわかろうというもの。
発達心理学の口唇期もあることに気づけば、セカンドインパクトとは第2次性徴期のことだとわかる。ただ、それではあからさますぎるので、物語の表面上、性徴期の始まりであるこの世への誕生をセカンドインパクトとした(産道を出るとき光の巨人を見たのかな)。
だから主人公は14歳であり、母への愛と異性への愛の合間で揺れ動き、母の魂の入ったエヴァ初号機に身も心もとろけてしまい、呼吸もできる液体L.C.L.つまりは羊水にとりこまれたりするわけだ。エントリープラグとは胎盤、プラグスーツもしくはインターフェースヘッドセットはへその緒だろう。シンクロ率が合わなければ母も胎児を体内の異物とみなし、白血球などで排除にかかる。
実際母親と血液型の異なる胎児もいるわけだし、遺伝子は半分は父親のものだから母とは当然異なる。だが異物として排除されないのは(実際は女性が妊娠すると免疫細胞を召集する遺伝子が脱落膜内で不活性化されるため排除されないことが2012年に判明したが)、愛でシンクロしているからかもしれない。
このように物語の小物類はフロイト心理学から導かれ、登場人物はユング心理学の元型、そうプロトタイプ、であるアニマ・アニムス・エゴ・影・太母・賢者(この二つの元型が合わさったものなのか母の脳の働きのコンピューター・マギには東方の3博士の名が附されている)・永遠の少年と永遠の少女・トリックスター・子供をそのままか少しだけ変形して出している。
プロットには発達心理学の発達段階をほぼそのまま使っている。
ウィキペディアの発達心理学のページから引用すると乳児期から青年期までに導かれる要素・心理的課題・主な関係性は、乳児期・希望・基本的信頼vs.不信・母親・世界を信じることができるか・授乳、幼児前期・意志・自律性vs.恥 疑惑・両親・私は私でよいのか・更衣の自律、幼児後期・目的・積極性vs.罪悪感・家族・動き.移動し.行為を行ってよいか・探検.道具の使用.芸術表現、児童期・有能感(シンジはこれがつかめない)・勤勉性vs.劣等感(シンジはこの葛藤が多い)・地域.学校・人々とものの存在する世界で自己成就できるか・学校.スポーツ、青年期・忠誠心・同一性vs.同一性の拡散、仲間.ロールモデル・私は誰か.誰でいられるか。
というわけで、発達心理学の表を書き写すとそのまま物語の要点羅列になる。なるほど、だからここで雨のキャンプのシーンが必要なのか、バスケットボールも必要要素だったのか等々。
つづいてウィキペディアからもう一つ。小児性欲のページ。フロイトの説が紹介され小児性欲は口唇期、肛門期、男根期、潜伏期、性器期という子供の成長に応じた期間があり(以下略)。ネットでよく評されたとおりアスカの舌舐めずりが口唇期の象徴ならほかは…。
ここまでこの記事を読んで貰えたら、ここまでの文を片手にもう一度エヴァンゲリオンテレビシリーズを見て欲しい。先に挙げた発達心理学表は見事に全部登場するし、ユングの元型も肯ける。物語の本筋はここまでだろう。だがここで終わると、「ああ、フロイト心理学の概念のアニメ化かぁ、14歳の少年が主人公?童貞の性的欲動や自己破壊欲求が爆発するんだろうな」で終わり、実際あらすじもその通りである。ここで物語の味付け、深みを出し精神性を増すための実存主義哲学の登場となる。
サブタイトルにも、心理学・哲学関連の言葉が多く使われているのは、ネットでも話題だし周知のことだろう。そのほか、リリス、ガフの部屋、セントラルドグマ、ジオフロント、ネルフなどエヴァには独自用語も多いが、ネット上エヴァ用語集やエヴァ解説集はいくつもあるのでそちらを見て欲しい。
ここでは構造主義的解説にとどめるので用語のほうは別サイトで。
--------------------------------
少し、各話を見ていこう。
1話 使徒、襲来、2話 見知らぬ、天井。一気に物語へ引きずり込む見事な構成。時間軸を巧みに行き来しつつ人物の紹介や謎の展開。無駄なシーンなく文句なし。ま、ペンペンは尺稼ぎだろうが。
3話 鳴らない、電話。部品として扱われるシンジ。「目標をセンターに入れて、スイッチ」。トウジとの争い。第4使徒襲来。ケンスケとトウジをエントリープラグに収容した後ミサトの命令を無視して使徒につっこむシンジ。
4話 雨、逃げ出した後/Hedgehog's Dilemmaヤマアラシのジレンマ。ミサトとの衝突。家出。
アドラー心理学 課題の分離、自己の問題を他人の課題ととらえない。他人の人生を生きているのではない。自己の人生を生きろ。あるいは実存主義ハイデガー哲学 自由な決断を通じて自己を選び取れ。
5話 レイ、心のむこうに。零(ゼロ)号機の起動実験での制御不能事故。ゲンドウを狙うエヴァ。緊急射出されたエントリープラグは壁など数カ所に衝突しながら落下。プラグ内のレイの状態が危ぶまれ、ゲンドウがあわてて駆けつける。プラグハッチを手で開けようとするゲンドウ。
ここで物語の構成上、ミスとしか思えない事柄がおきる。ゲンドウが素手でハンドルを回し、事故の際に高熱になったハンドルで手を火傷する。あり得ない。ゲンドウは総責任者総司令官であり、このような際プラグが高熱化すること(可能性)を知らなければ、部下に指示も出せない。また非常時にしても慌てて、常時装着していた白手袋もなしに(この件から装着しはじめたとすれば迂闊)ハンドルに手を触れるなどあってはならない。ハッチを開けることができたから感動的シーンにつながったものの、火傷が原因で開けられなかったら司令官として無能、失格である。とっさの際、正確な判断ができない司令官に、命を預ける者はいない。エヴァテレビシリーズで、唯一の設定ミスだろう。ゲンドウは11話でもロープを引っ張るなど、スタンドプレーが好きなのかもしれない。だが愛想はない。
ここで赤城リツコがいう「使徒は粒子と波、両方の性質を持っている光のようなもので構成されている。」つまり量子!物質の元である原子になる前の!量子がまとまると物質のように目に見える世界らしい。量子であれば今後登場する使徒たちの、ニュートンとアインシュタインの物理原則を無視した動き(量子にこの言葉が当てはまるかどうかは不明だが)も納得できる。
零号機事故の原因は、ネタバレだがリツコとゲンドウが並んで立っている発令所を(ユイとして)見たレイの心の乱れだろう。そのほかいろいろ複雑な人間関係の謎が提起されていく。
おまけに使徒独自の固有波形パターンは、構成が物質と量子の違いはあるが99.89%まで人間の遺伝子と同じだという。およそ女の子の部屋とは思えない綾波の部屋と裸でのもつれあいのサービスまでつけて、心理学・哲学分析を離れても表面的な物語の世界が面白すぎ!
6話 決戦、第3新東京市、ヤシマ作戦。7話 人の創りしもの。8話 アスカ来日。これで主要登場人物出揃い。アニマを分化したミサト、初号機(ユイ)、レイそしてアスカ。アンタ、バカァ。
ここでシンジも2号機を動かせるのは重要な設定ミスではないかと思う人もいるかもしれないが、ゲンドウの火傷とは異なり、現実世界に存在していないものの話は、どうでもいい。これが私流のアニメの見方。現実に存在する事柄はできるだけ本当のことを、物語にしか存在しない事柄は多少の矛盾はかまわない。
9話瞬間、心、重ねて。唇を重ね損ない(重ねた者たちもいる)、10話マグマダイバー11話静止した闇の中で。「どんな非常事態にも動じない高橋覗」(ゲンドウより司令にふさわしい?!)の選挙カー。
12話 ”奇跡の価値は/She said, "Don't make others suffer for your personal hatred.彼女は言った「貴方の個人的な憎悪のために他人を苦しめるのはやめなさい」”
この辺からサブタイトルが面白い。
13話、使徒、侵入。
もともと量子だったのだから物質の間をすり抜けて侵入すればよいものを、わざわざ細菌、マイクロマシン状にまで物質化したものだから、じわじわとしか侵入できないお約束設定。ゲンドウ曰く、進化の終着地点は自滅。死そのものだ。ならば進化をこちらで促進させてやればよい。
なんですと!つまり、もはや人類に残された道は自滅しかないから、人類補完計画をやるってこと。末法思想の厭離穢土欣求浄土、ユダヤ教の神の国は近づいた悔い改めよが補完計画?たしかに旧劇場版はその香りが漂うね。メシア、救世主としてのエヴァ初号機。十字架上の磔彷彿がラストシーン。だからエウァンゲリオン(福音書)か。こうサラっとセリフでネタバレされてもね。おまけに同時にまだ一つ重大情報。
使徒がマギと共生を図る?その発想は私の人類の進化予測ならわかる、電脳が思念体となるときは物質的回路を捨てることになるから量子との共存もありうる、のだけど、エヴァはそんな話じゃなかったよね。
マギ本体の物質的外観は、巨大な大脳皮質で作られたコンテナの組み合わせのようなもので、コンパクト化される前の世代のもののような見えるのに、第7世代の有機コンピューターに個人の人格を移植して思考させる人格移植OS搭載機種。人格移植OSはエヴァ操縦システムにも使われ、マギはそのOS搭載1号機らしい。正確にははそのOS搭載の独立した3基、メルキオール、バルタザール、カスパーと東方の3博士の名で名付けられたもので構成され、開発者であるリツコの母、赤城ナオコの、科学者としての人格、母としての人格、女としての人格が3基にそれぞれ移植されているもの。その3基の異なったシステムにより、ジレンマを作り出し、多数決で決議を行う。エヴァ用語集から引用、詳しすぎだ。ここで放送1クール終了。
---------------------------------------
14話、ゼーレ、魂の座。
前半は第1クールのネタバレ含む総集編。使徒の名が明らかに。そうか、綾波はペシミズム、ショウペンハウエルの厭世主義と何かを合わせたものなのか。真の実在は盲目的な生存意志である、皮肉だな。後半は各チルドレンの信条。「どうシンちゃんお母さんのおっぱいは。それともおなかの中かな。」ネタバレ豊富にすすめながら新たな謎提起。
15話、嘘と沈黙/Those women longed for the touch of others' lips, and thus invited their kisses.女性達は他人の唇が触れることを強く望んだ、しかして彼らのキスを受け入れた。
リツコ「今を維持しようとする力と変えようとする力、その矛盾するふたつの性質を一緒に共有しているのが生き物なのよ」
16話、 死に至る病、そして/Splitting of the Breast割れる、心。
タイトルは実存主義哲学者キルケゴールの、「人間がふつうのどこにでもいる取り替え可能なものとなったとき、生きる希望は絶望になる。絶望は生死をかけて克服すべき”死に至る病”である。」より。英語は心理学用語「乳房の分裂」。愛と憎しみ、よい乳房と悪い乳房。
内面心理の映像化が始まる。自分とは何か。他人の中の自分とは。と哲学するのかと思いきやアドラー心理学である。自分の課題と他者の課題の分離。自己受容しようとしてできない。「たのしいことばかりやってて何が悪いんだよ!」美的実存。絶望の中に母が現れる。
17話 四人目の適格者。
よくわからないものを無理して使うからよ。それはエヴァも同じね。私も同じ。巨大な脳の下の試験管内のレイ。
18話 命の選択を/AMBIVALENCE両面価値(同一対象に対して、愛と憎しみなどの相反する感情を同時に、または、交替して抱くこと)。
カジの寝言名言炸裂。
19話 男の戰い/INTROJECTION(心理学用語「取り込み」 防衛機制の一種、相手の感情・思考・印象などの属性を取り込んで自分のものにする自我のはたらき)。
本質に先立っていた実存が本質を掴む。実存主義哲学者サルトルの言葉を見よう。「人間は、こうならねばならないと決められないままこの世に存在する。自己の本質を、自由に創り上げていく存在である。その自由は、孤独の中で不安に耐えながら自己の現実を選び取っていくしかない自由である。」
エヴァはS2機関を取り込む。スーパーソレノイド機関?恒久的エネルギー供給機関?それって2心房2心室の心臓じゃないの?血が足りないなと焼き鳥レバーを頼むようにハツを喰う。
20話 心のかたち 人のかたち /WEAVING A STORY 2:oral stage話を紡ぐ2 、口唇期(心理学用語)。
承前。以類補類による取り込みと、こころを喪失した野獣のような覚醒。同時に胎内回帰。ちょっと意味が違うが、私にかえりなさい。ここでシンジは使徒と同じ量子状態になった(なんと31日間)。
リツコ「現に彼の自我イメージがプラグスーツを擬似的に立体化させてるわ。」 私の進化予測の⑱、精神による物質の創造。涼宮ハルヒの世界だ。さらに、心象風景の連続切替を見せられている我々の目を外部から観察すれば、「2001年宇宙の旅」の点滅する光彩の中の「目」に見えるだろう。庵野監督はそれを狙ったか?
「私とひとつになりたい?心も体もひとつになりたい?それはとてもとても気持ちの良いことなのよ。」
ミサトとアスカとレイのイメージを見せながら、初号機が母ユイとして胎内の息子に問う。
サブタイトル口唇期の象徴である授乳イメージ(とそれに伴う充足感)をシンジが抱いたとき
「もういいの?」
分娩。
からだはひとつになっても、心はお互いを求めながらもすれ違う者たちもいた。
21話 ネルフ、誕生 / He was aware that he was still a child.彼はまだ子供だと自覚していた。
いろいろ謎が解かれ新たな謎が提起される回。セカンドインパクトで常夏となった(地軸の傾き)から、ひぐらしのなく頃が続く。「神のプロトタイプか。」「神への道、人類補完計画だよ。」
22話 せめて、人間らしく/Don't Be
「いやぁっ!私の中に入ってこないで!」
ロンギヌスの槍は、フランク・プールのように飛ぶ。
23話 涙 /Rei III
「果てしなき流れの果てに」のワンシーンのようなぜーレの会議。全員モノリス。ダミーシステムとその破壊。
24話 最後のシ者 /The Beginning and the End, or "Knockin' on Heaven's Door"始まりと終わり、もしくは「天の扉を叩く」。
渚=シ者、カヲル-1=オワリ。ネットでは早くから流れていた。製作者リークだろう。いわゆる自演乙。
「人は無から何も作れない。人は何かにすがらなければ何も出来ない。」「だが、神に等しき力を手に入れようとしている。」
フランシス・ベーコンが「知識は力なり」と叫んで以来、人はそれまでは神のものであった自然を、科学の力で支配しようともくろんだ。
ハイデガーは人間を「死への存在」とした。
リリン=人間、黒い月のリリスは人の始祖、白い月のアダムは使徒の始祖,ATフィールドは心の壁…。物語の表層世界は、つじつまを合わせるために、こじつけをはじめるが破綻も大きい。合掌。(いや合唱かw)
25話 終わる世界/Do you love me?
絆=縁。縁によって人は存在する。西洋哲学でも心理学でもなく釈迦だね。ショウペンハウエルかも。盲目的生存意志、ただ生きたい、の衝突が続き、苦痛に満ちた人生を送らざるを得ない。
物語の表層世界では人類補完計画が始まり、旧劇場版シト新生およびAirの世界が展開されており、テレビシリーズではそのときの心象風景が展開されているということになっている。
存在理由、レゾンデートル。強迫観念。分離不安。愛着行動。
補完の始まり。虚無。心の喪失。
各自の自我はだんだんと境界を曖昧にしていく、彼の中の自分、自分の中の彼、彼も自分も同じ。
26話 世界の中心でアイを叫んだけもの / Take care of yourself ご自愛ください。
かつて私がQuizooというクイズサイトに出題した問題の選択肢。タイトルの意味としてこれらは正しい。
アイは「愛」と英語の「I」をかけたもの。すなわち、世界の中心で「私はここにいる」と叫ぶという意味だ。自分に存在価値はあるのか、という内省的な問いの1つの答え。
アイは愛でありIでありiでありあいなのだ。ラヴ,アガペー,イド,私,虚数,挨,相のすべてであると同時に、そのどれでもないアイなのだ。
世界の中心、すなわち天上天下のただ中に、ありのままま、けもののままの自分がある。それでいい。自分は補完する必要のない、完全な存在だった。天上天下唯我独尊。
まず自分を描いた。あるがまま自由に動けた。線を引く。地平線となり世界が生まれた。そうか。もともと私という獣は、世界の中心にいたのだ。私があるから世界が存在するのだ。
再びサルトル、自由の刑。孤独の中で、不安に耐えて自己の現実を選び取っていくしかない自由。
ラストシーンは、個別の存在を認め合っているのか、みんな一つになったのか曖昧で、補完完成説もある。
---------------------------------------
人が神を作る。確かに神話は人が作ったが、本物の神を作ろうとする。いや神の形に似せたものを。作ったのか作らせられたのか。
「神は死んだ」と叫び大地に根ざす超人を創り上げたのは、これまた実存主義哲学者として名高いニーチェ。 ニーチェは言う、神の死によって人間を導くものは、人間がより強大になろうとする本能的な意志、力の意志である、その意志の体現者を超人と呼ぶ、と。まるでエヴァだ。続いてニーチェは言う。人間は己を乗り超えなくてはならない。虚無主義という否定的な現実から目を背けるな(逃げちゃだめだ)。現実をそのまま受け入れる運命愛により、自由で能動的な現実へと飛躍することができるのだ、と。
ところで、これを書いているのは2015年7月12日である。今頃、第三新東京市にサキエルが襲来しているだろう。物語はこれからだ。
-----------------------------------------
表層部分はひとまずおわり。
------------------------------------------
重層構造
この物語は右表の①②③の重層世界で、現実の出来事は①であるというのが普通の解釈。 庵野監督もそのつもりだろう。
だが私には現実世界は④であり、①②は重層的心象風景。そこにはアニマ・アニムスのほか、現実にはあり得ない巨大人型ロボットとか、物理原則を離れた怪物がうごめいている。
現実世界④は③に近いものかもしれない。おとぎ話やSF的作り物の世界ではないふつうの世界である。
14歳り第2次性徴期の少年に、現実的にはどんな事件が起こっているから、①②の心象風景が展開されることになったのだろうかと、想像しながら画面を追うのである。
そして、この物語が哲学的に味付けた発達心理学の見本のような一篇だと気づいたのである。
---------------------------------------
例示したような重層構造は多くのアニメで見られる。妄想代理人のように心象風景を伴う例が多いが、もっと複雑に絡み合った、うみねこのなく頃に、のような作品もある。
----------------------------------------
さて25話に戻る。
「これが事実?全ての結果なのか?これが」 「たくさんある事実、その中のひとつよ」
「これが現実なのよ」「時間と空間と他人と共にある、君自身の世界のことさ」「君がどう受けとめどう認めるかは、君自身が決める世界だ」
テレビ画面に流れる表層的部分は、「事実」のある種のみかたの一つ。見ている者がどう受けとめるか見ている者が決める世界。私は重層的世界とみて、それを選択。真実は現世界のある14歳の少年の、フロイト的心理発達の物語。
最終話。 ④つまり私の真実により近い画面がテレビ上にも展開される。
「何を願うの?」 「何が欲しいの?」 「何を求めているの?」
『拒絶』『接触と承認』 「ここにいてもいいの?」
「何もない世界、誰もいない世界」 「自由の世界」 「自由?」 「なにものにも束縛されない、自由の世界だよ」 「その代わりに何もない」 「不安なのね」「自分のイメージがないのね」
「不自由をやろう」 「ほら、これで天地ができたわ」 「でもこれで自由がひとつ、消えた」 「あなたは地に立たなければならない」 「だが、君は安心する」
「お前をかたどっているのは、お前自身の心とその周りの世界だからな」 「他人との違いを認識することで、自分をかたどっているのね」
「そう、僕は僕だ。ただ、他の人たちが僕の心の形を作っているのも確かなんだ」
「やっとわかったの?バカシンジ」 学園エヴァ。
「受け取り方ひとつでまるで別のものになってしまう脆弱なものだ、人の中の真実とはな」 「人間の真実なんてその程度のものさ。だからこそより深い真実を知りたくなるんだね」
「僕は僕が嫌いだ」 「でも、好きになれるかもしれない」 「僕はここにいてもいいのかもしれない」
「そうだ、僕は僕でしかない」 「僕は僕だ、僕でいたい」 「僕はここにいたい」 「僕はここにいてもいいんだ」
「おめでとう」 「おめでとう」 「おめでとう」 「おめでとう」 「おめでとう」 「おめでとう」「めでたいな」 「おめでとさん」「おめでとう」 「おめでとう」 「おめでとう」 「おめでとう」 「おめでとう」 「おめでとう」
「ありがとう」
『父に、ありがとう』 『母に、さようなら』 『そして、全ての子供達に』
『おめでとう』
テレビシリーズより低年齢層向けかと思ったらR-18表現もあり、対象年齢を下げたのではなくより大衆向け(この表現は大衆を低脳いするもの)にして興行成績を狙ったものだろう。
私としては、テレビシリーズは満足のいくものだった。終わり方も、表層的空想世界①をラスト2話では完全に切り離し、潔いすっきりとした終わり方だと思った。
しかし、巨大ロボットのある空間を、真実のエヴァ空間だとしか認識できない子供たちにはラスト2話は酷だったようだ。①の話は単なるたとえ話で、つじつまなんてどうでもいいと気づけなかった。
まあ①を突如切ったのだから、OVA的に決着はつけたほうが面白いな。とは思っていたが反響の大きさからか映画になってしまった。第1話〜第24話の再構成「シト新生」、第25・26話を①的に描く「Air/まごころを、君に」。
テレビシリーズでは①は、あくまで表層だけの世界だったと思う。映画化、旧劇場版で①を事実世界とみなす割合が増え、新劇場版では①の単層構造(その代わりに構造そのものを複雑化)になったようだ。
だが。あきらめきれず重層を主張。
シト新生 Evangelion: Death and
Rebirth
シトは「使徒」と「死と」、TVシリーズ(第壱話〜第弐拾四話)の再構成である『DEATH』編と、第弐拾伍話のリメイク(実態は完全新作)の前半部分『REBIRTH』編の2部構成。ただし時系列を大胆にシャッフル。
衒学趣味の庵野監督らしいシャレか、この物語は本質的には4重層構造だと、弦楽4重奏で訴える。しかも
パッヘルベルのカノン。輪廻か永劫回帰か。第一ヴァイオリン、渚カヲル、なるほど主の旋律はアダムか。第2ヴァイオリン、アスカ、よく我慢したね。ヴィオラ、綾波。チェロ、シンジ。チェロはオールマイティなまとめ役のはず。シンジには荷が重いだろう。カノンはエンディングでも使用。
Air/まごころを、君に 「THE END OF EVANGELION(EOE)」。
アスカの病室。昏睡するアスカに助けを求めるシンジ。アスカの布団を引っ張ってしまい、アスカは昏睡のままベッドの上に半裸下着の姿をさらす。傍らのシンジの荒い息づかいがバイタルマシンの音に混じる。「うっ」。手にべっとりと体液。「最低だ、俺って。」
第25話 Air/ Love is destructive.愛は破壊的
「出来損ないの群体として既に行き詰まった人類を、 完全な単体としての生物へと人工進化させる補完計画。 まさに理想の世界ね。」
「人は生きて行こうとするところにその存在がある。 それが自らエヴァに残った彼女の願いだからな。」
「何甘ったれたこと言ってんのよ!あんたまだ生きてるんでしょ? だったらしっかり生きて、それから死になさい!」「サードインパクトを起こすつもりなのよ。 使徒ではなくエヴァシリーズを使ってね。 15年前のセカンド・インパクトは、人間に仕組まれたものだったわ。 けどそれは、他の使徒が覚醒する前にアダムを卵にまで還元することによって 被害を最小限に食い止めるためだったのよ。 シンジ君、私たち人間もね、アダムと同じリリスと呼ばれる 生命体のみなもとから生まれた18番目の使徒なのよ。 他の使徒たちは別の可能性だったの。人の形を捨てた人類の。 ただ、お互いを拒絶するしかなかった悲しい存在だったけどね。 同じ人間同士… いい、シンジ君。エヴァシリーズを全て消滅させるのよ。 生き残る手段は、それしかないわ。」
戦自侵攻、ネルフ漸次敗滅。2号機覚醒、大暴れ。9機のエヴァ量産機、飛来、旋回、降下。量産機に飛びかかる弐号機。
ミサト被弾。
「いい、シンジ君ここから先はもうあなた一人よ。 全て一人で決めなさい。誰の助けもなく。…あなた自身のことなのよ…誤魔化さずに自分に出来ることを考え 償いは自分でやりなさい。」
「何のためにここにいるのか…今の自分の答えを見つけなさい… そして、けりをつけたら、必ず戻ってくるのよ…」
「大人のキスよ。 帰ってきたら続きをしましょ。」
遂にロンギヌスの槍に頭から貫かれる弐号機。
次々と再不気味な咆哮を上げながら起動してゆく量産機。
初号機、覚醒。羽根を広げ、紫の光は天を焦がす…
第26話 まごころを、君に/One More Final: I need you.
「アダムは既に私とともにある。 ユイと再び会うには、これしかない。 アダムとリリスの禁じられた融合だけだ。」
「時間がない。ATフィールドがお前の形を保てなくなる。 始めるぞ、レイ…ATフィールドを、心の壁を解き放て。 欠けた心の補完。不要な身体を捨て、全ての魂を今一つに。 そして、ユイの元へ行こう…」
「遂に我らの願いが始まる。 ロンギヌスの槍もオリジナルがその手に還った。 いささか数が足りぬが、やむを得まい。… エヴァシリーズを本来の姿に。 我ら人類に福音をもたらす真の姿に。 等しき死と祈りをもって、人々を真の姿に。… それは魂の安らぎでもある。 では、儀式を始めよう。」
「エヴァ初号機に聖痕が刻まれた。 今こそ中心の樹の復活を。 我らが僕、エヴァシリーズは、皆このときのために。」
上空に現れる生命の樹の紋章
「悠久の時を示す 赤き土の禊ぎをもって まずはジオフロントを 真の姿に」
アダムと向き合うレイ
「ただいま。」
「使徒の持つ生命の実と、ヒトの持つ知恵の実。 その両方を手に入れたエヴァ初号機は、神に等しき存在となった…。 そして今や、命の対価たる生命の樹へと還元している…。 この先に、サードインパクトの無からヒトを救う箱船となるか、 ヒトを滅ぼす悪魔となるのか…。 未来は碇の息子に委ねられたな…。」
心象風景。夕日に赤く染まった公園。彼方の乳房を思わせる双丘の間、あごの位置に沈む夕日、立て膝のような二つの森の間の公園。全体は巨大な裸形の女性が仰向けに寝ている形で、へその位置にまさぐるように揺れるブランコ、女性器の位置にある菱形の砂場に幼児のシンジ。ネルフ本部のようなピラミッドを作り、足でけり壊す。賽の河原の石のように再びピラミッドを作り始める。性行為中のミサトのイメージ。アスカの舌なめずり。
「助けてよ…ねぇ、誰か僕を、悩みから僕を助けて… 助けてよ…僕を助けてよ! 一人にしないで!僕を見捨てないで!僕を殺さないで!!」
「イヤッ!」
沈黙…後、シンジはアスカの首を絞める…
地球上の全ての場所から立ちのぼる十字の光
初号機の中では、シンジの自己受容か拒絶か、自我確立か破壊かのせめぎ合いがまだ続いている。
テレビシリーズ最終話の状態。
実写パート、大衆の中の孤独、孤独の集合でしかない大衆、声優たち。
「じゃぁ、僕の夢はどこ?」「 それは、現実の続き。」「 僕の、現実はどこ?」「 それは、夢の終わりよ。」
遙か下方に地球を望む空間、全裸のシンジとレイが、騎乗位になっている…
「 …っ、綾波…ここは?」
「 ここはLCLの海。生命の源の海の中。 ATフィールドを失った、自分の形を失った世界。どこまでが自分で、どこからが他人だか判らない曖昧な世界。 どこまでも自分で、どこにも自分が居なくなっている脆弱な世界。」
「 僕は死んだの…?」
「 いえ、全てが一つになっているだけ。 これがあなたの望んだ世界、そのものよ。」
「 でも、これは違う。違うと思う。」
「 他人の存在を今一度望めば、再び心の壁が全ての人々を引き離すわ。 また、他人の恐怖が始まるのよ。」
「 いいんだ…。…。 ありがとう…。」
「幸せがどこにあるのか…まだわからない。 だけど、ここにいて、生まれてきてどうだったのか、これからも考え続ける。 だけど、それも当たり前のことに何度も気付くだけなんだ、 自分が自分でいるために。」
「さよなら、母さん…」
破瓜を思わせる切り裂かれた裂け目の沖天に浮かぶ、核のような白い月。赤い血の色の海、赤が血が嫌いだったはずのレイが、波打ち際に見えるがすぐ消える。「さよなら」を言いに来たのか。
浜辺に横たわるシンジ、傍らにはアスカが、右手に包帯を左目に眼帯を巻いて横たわる。アダムとエヴァか。失神しているようだ。
シンジ、起きあがると…アスカの首を絞め始める…やがて手を離し、嗚咽を漏らす。
アスカ「気持ち悪い。」
終劇
摩砂雪エロい。フロイトばんざい。
EVANGELION:1.0 YOU ARE (NOT) ALONE.
初見時、赤い海を見たとき引いた。
テレビシリーズで南極周囲の海は赤くなっていた。それはセカンドインパクトにより周囲の生命がLCL化して溶け込んだためで、さらに周辺大気の組成も変わったと言う説明がされており、局地的なことなら赤く見えてもよいかと見逃した。
また旧劇場版ラストの赤い海、これもサードインパクトがシンジの意志の変化により失敗し人々の魂は解放されたが、LCLと化した肉体までは元に戻らず海に溶け込んだためとわかる。それもあの小さな湾内だけのものと解して看過した。
「序」始まったとたん均一的な赤い海。まずこの海水が空の青を反射しない成分になっていると仮定しよう。とはいえそもそもその仮定は無理だと思う。何も反射しないなら漆黒に見えているはずだし、液体に限らず、鏡面のものは基本的に反射する。そして反射すれば赤い海に青い空が映っているから、やはり黒くなる。
また、海を均一的に赤くするには、すべての生命体、人類は言うに及ばず鯨から微生物までの全地球の全生命体、のLCLが溶けた程度では、無理ではなかろうか。時間的にも長くは続かないだろう。微生物による崩壊はなくても沈殿はある。
こんな科学的にあり得ない画面を冒頭に持ってくれば、常識人は引く。それとも一般大衆にそんな知識はないだろうと思ってのことか。
テレビシリーズと「シト新生」では青息吐息ながらも、科学的に説明はしていた。「Air/まごころを君に」は補完部分がオカルト的すぎ、現状逸脱説明放棄、ようするに「オトギバナシ」に堕した部分も多く見られたが、THE END OF
EVANGELIONということで、シリーズ最終版だし、巨大ロボットのある空間を、真実のエヴァ空間だとしか認識できない子供たち向けなんだから、大人は我慢しようと思った。エロかったから許すわけではない。
しかし、この映画の冒頭は酷い。全生命が消えたどころか、赤い海の海岸線の道路を埋め尽くす戦車の列。これはいわゆる「なんでもあり」で、科学常識、物理原則くそ食らえの製作者の自己満足作品にしかすぎないのではないか。
この段階で、この映画への期待と興味の9割は殲滅された。沈黙。合掌。I AM ALONE.
冒頭1分で見る気をなくし、いったんはお蔵入りしかけた本作だが、シリーズは続いていくとのことなので我慢して見ることにした。
冒頭以外は、ほぼテレビシリーズのリメイクというか、アングルもセリフもコマ割りもほぼそのままで絵だけ描き直したようなシーンが続く。冒頭に感じたどうしようもない違和感とつまらなさはだんだん薄れるが、テレビシリーズと旧劇場版2つ、それに今回と都合4回、同じシーンを見ることになる。間違い探しでもやってみるか。エンドレスエイト。
コアの説明など新しいシーンも少しずつ入ってくる。戦自の装備は数量UP。ビルは増え緻密になった。
テレビシリーズ第3話までは改変少なし。4話ははしょり気味、5話あたりからは絵と台本にかなり違いが出てくる。大筋は変わらず、6話ヤシマ作戦となる。蛇の道は蛇で戦自が協力するとは思えないが。
「理由も分からずただ動かしてただけだ!人類を守る?こんな実感もわかない大事なこと、何で僕なんだ?? 」
理由もわからずただ見ているだけの観客も多いのかな?シトなんて実感もわかないだろうに、なんで見てるんだ??
「今一度、日本中のエネルギーと一緒に、私たちの願い、人類の未来、生き残った全ての生物の命、あなたに預けるわ。頑張ってね。」
「分かっているよ。あちらの少年が目覚め、概括の段階に入ったんだろう? 」
「そうだ。死海文書外典は掟の書へと行を移した。契約の時は近い。」
「 また3番目とはね。変わらないな、君は。 逢える時が楽しみだよ、 碇シンジ君。 」
冒頭の赤い海さえなければ、テレビシリーズ冒頭6話のリメイクとして普通に見れたのだが、残念。
EVANGELION:2.0 YOU CAN (NOT) ADVANCE.
「さて、エヴァンゲリオン仮設5号機起動!」
『庵野は、自身がこれまで作り上げてきたエヴァの世界を、自分では破壊しきれないとして、『破』というサブタイトルを象徴する新キャラクター・マリを演じる坂本真綾との打ち合わせの際も、マリに関するより詳しいディレクションは監督の鶴巻に任せている』ウィキペディアより転載。
本来、テレビシリーズ8話アスカ来日から19話男の戰い までを描こうと制作開始されたらしい(←これもウィキ)。「序」と「破」の監督は庵野秀明(総監督)・摩砂雪・鶴巻和哉の3人体制。
「5号機の自爆プログラムは上手く作動してくれたか……折り込み済みとはいえ、大人の都合に子供を巻き込むのは気が引けるなぁ」
「……いっててて……。エヴァとのシンクロって聞いてたよりきついじゃん……。まあ、生きてりゃいいや。自分の目的に大人を巻き込むのは気後れするなぁ」 「さよなら……エヴァ5号機。お役目ご苦労さん」
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破
ゲンドウが乗り込んだ輸送機のデザインがいいなと思ったら、緑の山並みの向こうに一面の赤い海。描くのは楽だろう、上空の天気に関わらずいつも同じ色。興が削がれる。
シトの攻撃に上がる水柱が、すべて十字架形なのはどんな物理法則だろうかと、どうせ何の説明もない製作者ワンサイドゲームだとわかっていても気になる。実験可能な説明でなくても、理論的に納得したい。奇跡だとか神秘だとかは、結果の押しつけで説明ではない。
(物語上の)海面は赤なのに、ミサトの運転する車のカーナビで海面を示す色は青。理由は問うまい。
式波アスカ、エヴァ5号機、マーク6、ネブカドネザルの鍵と「破」らしいところを見せ
「月面のタブハベースを目前にしながら、上陸許可を出さんとは……ゼーレもえげつないことをする」
って、2001年のクラビウス基地か。
「カオスは人の印象に過ぎない。世界は全て調和と秩序で成り立っている」
その秩序を説明しなさい。
「僕が産まれる前は、この海が青かったなんて想像出来ません」
違う!水は無色透明、微生物やごみで多少濁りはあるが、青いのは空の反射。この施設だって、水を浄化しているだけで、青い染料で染めてるんじゃないだろう。ついでに大気も無色透明。太陽光のうち波長の短い青い光が空気中の細かいチにぶつかり 散乱するため青く見えるだけ。太陽光が地球に対して斜めにさすと、通過する大気の幅が長くなり赤色光も散乱、従って夕日は赤いし空も赤く染まる(が大気は無色)。
科学的に説明できない設定をつくるのも賛成しないけど、子供も見るアニメ映画で科学的な誤りを主張して欲しくない。
なんと今回、シトになる3号機にはアスカが乗っていた。そして初号機が3号機エントリープラグを噛み砕く!
月面のカヲル
「時が来たね」
「モード反転!裏コード、ザ・ビースト!」
シンジ覚醒!
「やめなさい!シンジ君!ヒトに戻れなくなる!」
「僕がどうなったっていい。世界がどうなったっていい。だけど綾波は……せめて綾波だけは、絶対助ける!」
「行きなさいシンジ君!誰かのためじゃない!あなた自身の願いのためにっ!!」
「人の域に留めておいたエヴァが本来の姿を取り戻していく。人のかけた呪縛を解いて、人を超えた神に近い存在へと変わっていく。天と地と万物を紡ぎ、相補性の巨大なうねりの中で、自らをエネルギーの凝縮体に変身させているんだわ。純粋に人の願いを叶える、ただそれだけのために!」
「綾波ぃーっ!手をっ!!」 「来いっ!!」
「この世界の理(ことわり)を超えた新たな生命の誕生。代償として、古の生命は滅びる……」
「そう……セカンドインパクトの続き。サードインパクトが始まる。世界が終わるのよ」
--------------------------------------------
エヴァ大好き人間かロボットものが好きな人にしか 私はおすすめできない。ただ続き物なので、このあとシリーズがどう展開するかでこのフィルムの評価は変わるかもしれない。
エヴァシリーズではないが、ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qと同時上映されたし、もともと全国を巡回した展覧会「館長 庵野秀明 特撮博物館」の庵野秀明による企画作品。
もちろん「風の谷のナウシカ」のスピンオフだが、私は「巨神兵とナウシカ」はエヴァシリーズの最終形の一つになるかもしれないと考えていた。ナウシカの巨神兵は庵野秀明が担当した場面だったから。
人間が神を作る。作らせられるのかもしれない。新たな生命や生命すら超えそうなものを、同じ一生命体が。
ナウシカの火の七日間を描いたこの映画では、何が巨神兵を生み出したかまでは描かれていない。
---------------------------------
私が考えていたエヴァ劇場版最終話の一つは、
人類補完計画は、古き人類に終焉の時を与え、新しい人類を浄化の炎の中に生み出そうとした。
だが計画は失敗し、新しい人類を生み出せないまま、火の七日間の到来となる。
高度機械文明の世界は汚染しきっており、火によるみそぎだけでは浄化しきれず、自然は腐海という新たな浄化装置を作った。7日のあいだ、偶然にも洞窟や山頂などの文明とは隔絶した世界にいたため、生き残ったごくわずかな人類は、かつての文明を使うすべも取り戻せず、腐海という新たな脅威とも戦わねばならなかった。ある人々は風の谷に町を作った。その潜在意識に、青いエントリープラグ(蒼き衣)を刻み込んで。
--------------------------------------
「巨神兵東京に現わる」は、CGを一切使用しないという制約の下、新旧様々な手法による特撮技術とデジタル合成のみで製作されている(ウィキ)もので、ナウシカファンにはたまらない。
ああ、この頭部が化石になったのか。ちょっと小さいか。口の中はガトリング砲でもちろん炎射もできるのかと、すっかり楽しめた。シナリオも面白かったし、林原めぐみさんのナレーションというかモノローグは秀逸。
この映画の監督は樋口真嗣で、エヴァのシンジの名はこの監督の名からとったものとのこと。
ナウシカファン・エヴァファン・特撮ファンは必見である。
EVANGELION:3.0 YOU CAN (NOT) REDO.
メカニック好き、ロボット好きにしかおすすめできない。だが見ているうちに我慢できるようになった。
新語として、DSSチョーカー、ネーメズィスシリーズ、主機、神殺し、8号機、エヴァ改2号機、LCLガス、ヴンダー、Mark9、エヴァの呪縛、ヴィレ、インフィニティ、エヴァマーク6、カシウスの槍、アダムスの器、第13号機 などが登場。
時間軸も14年進んでおり、テレビシリーズとは全くの別物である。
こちらの世界では、「序」「破」で数シーン姿を見せた渚カヲルは、シンジにとっては初めて見る人物らしい。
セントラルドグマの最深部はターミネーターばりの髑髏の山。サードインパクトの爆心地なのに、頭蓋骨は残ったの?このシーンはターミネーターのオマージュ?
ジオフロントのネルフ本部で供給されたのは、2001年宇宙の旅のディスカバリー号の食事によく似たペースト状の宇宙食。これは完全に2001年宇宙の旅のオマージュだろう。
そういえばフォースの止まったあとのヴンダーも、どことなくディスカバリー号を彷彿とさせる。ポッド2ダッシュと開始早々から「ポッド」ということばも使用している。ゼーレのモノリス表示などテレビシリーズから感じていたが、庵野監督も2001年大好き人間?
じゃあ私を含めて「2001:a space odyssey」フリークにもおすすめ。
-----------------------------------------
「魂が消えても願いと呪いはこの世界に残る。意志は情報として世界を伝い、変えていく。いつか自分自身の事も書き換えていくんだ」
「ごめん。これは君の望む幸せではなかった。ガフの扉は僕が閉じる。シンジ君が心配することはない」
「カヲル君・・・カヲル君が何を言っているのか分からないよ!」
「シンジ君は安らぎと自分の場所を見つければいい」
「縁が君を導くだろう」
「だが、ゼーレの少年を排除し、第13号機も覚醒へと導いた。葛城大佐の動きも計算内だ。今はこれでいい」
------------------------------------------
テレビシリーズ第25話では「絆」だったが、Qでは「縁」になった。人々がいるから私がある。
どちらにせよ「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」は「ナウシカの序」にはなりそうもない。あまりにも多くの伏線をどうする?また重層世界か、そけとも平行世界の収束か?
ウルトラマン大好きの庵野総監督が、メカやアクションに凝りまくり、ストリーなんて子供だましでいいや、なんてことを思わないよう祈っております。
考察2に関連して つまり新世紀エヴァンゲリオンは庵野流「火の七日間」だった
計画されたシステム通りに進めば、浄化された理想の世界ができるかもしれないが、穢れそのものである人類は、一度滅びて作り直されることになる。
これはまるで「Air まごころを君に」を見ているようではないか。「Air まごころを君に」での人類補完計画では人間のみが浄化され、世界はまだ焼き尽くされていないが、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」ではどうなるのか。期待していいのかな?
EVANGELION:3.0+1.0
(以下工事中)