それぞれのジャンル別ランキング。下記いずれかをクリック。
映画とかテレビドラマとか、子供や思考停止した大衆向けの娯楽でしかなく、なんの真実もふくまないに等しいようなお伽話にしかすぎない、と思っていた。だから、映画館に通う種類の人間ではなく、レンタルビデオを愛用する人間でもなかった。
十代の終わり頃、よく映画に誘ってくれた友人がいた。その頃見た数本の映画は強烈に印象に残った。そんなに馬鹿にしたものでもないぞ、中には面白いもの、思考させるものもあると思った。例えば、2001年宇宙の旅、ゴッドファーザー、八甲田山などと名画座で見たローマの休日などである。 もともとそんなに映画好きではなかった私だが、長い間にはかなりの映画を見てきた。
アニメは、確かに子供向け作品もあるが、思考停止した大衆には理解できないような、今まさに思考能力の発達段階の者が、思考能力の発達段階の者のために作っているような所のある作品で、50歳をすぎた頃からネットで見始めた。実写動画よりはるかに現実的と思うこともある。
こんな私の、動画案内である。お気軽にどうぞ。
実写はドキュメンタリーなどを除き、俳優が演じるものである。
その俳優の演技力、その俳優に対する好悪の感情、その俳優の持つイメージ、その俳優が過去に演じた役柄などが、映画本編の内容以外に見えてしまう。実写の欠点である。
うまく映画に溶け込んだ場合は、俳優が俳優ではなく作中人物に見えはじめる。そうなると人間のちょっとした表情・仕草などの演技、それが意図しないものであっても、それらが醸し出す雰囲気が、見ている側に感情のうねりとして伝わる。実写の良さである。
アニメは逆に、声優が誰であるかは、よほどの場合以外は関係なく、最初から作中人物とともにストーリーを追うことができる。これは大きい。絵柄や絵の動きが気になることはあるが、実写と違い、表現したいものだけを描くことができる。欲しいときに雨・風・雪などがふり、必要なときに特撮を使わず天変地異が起き、生身の人間のなし得ぬ動作ができ、変身や拡大縮小も無理なく行いうる。アニメの良さである。
しかし、言葉によらない感情の表し方は、実写には適わない。実写の表情は、唇の端が1ミリ動いても変わるが、アニメだとズームにしたり2ミリ動かしたりしないと伝わりにくい。どうしても動きが大きくなり、細かい情緒をあらわすには不向きである。アニメの欠点であるが、それを補うための文字説明または背景・音響の変化などの技法もある。
おもしろいことに、実写版は現実感が希薄で、アニメの方が現実的に見えるのはなぜか。
例えば刀語。アニメとしても一見稚拙に見える画だが、どんどん現実味を帯びる。例えば半沢直樹。最初は現実感を感じるが、どんどん虚構であることが表面化、つまりウソくさくなる。
名優が少なくなり、名優を必要とする台本が少なくなりつつある現在、実写においてもアニメ的作品が増えてきている。実写のアニメ的作品は、嘘を描いているとしかみえない。嘘を描いているアニメは、夏目友人帳のように、本人に会いに行きたくさえなるほど現実的。
ところが、日本のアニメは一世を風靡し、世界のあちこちで歓迎され、国内では定着しすぎて低品質大量生産、頭打ち状態で、このままではどうなるか。宮崎駿引退の後は、どうなる。押井守、細田守、新海誠、庵野秀明、吉浦康裕、原恵一みんながんばれ。
そもそも、どういう動画が好きなのか、考えてみる。
自分が心に残る大事件に関しては、ニュース番組の羅列が一番面白い。撮影するほうは、眼前の事態をそのまま撮影し、見る側に判断をまかせる。真実の報道でも、事実の報道でもなく、できるだけいろいろなものが映るよう、今おきている出来事を中心に、その周囲も含めて、多くの情報を映す。ありのままの他視点からの報道がいい。「なんとか情報保護」などで映し出される映像は年々貧弱になり、情報量は文字情報の補足にしかすぎなくなりつつあるのが残念である。
ドキュメンタリーは、歴史的な出来事についてはニュースタッチで映像を羅列したものが好きで、撮影側の情報操作の意図が感じられるものには拒絶反応がある。事件・事故についても、なるべく感情・主張を交えないものを見たい。人物ドキュメンタリーは、撮影側の編集次第でその訴えたいことが変わってくる。編集前のものを思い浮かべつつ見るようにしている。ドキュメンタリーについては、扱っている対象に興味があるかどうかが一番だが、歴史的な出来事には大いに興味がある。
歴史物は史実通りが一番いい。解釈もこちらにまかせて貰うとなお良い。つまりドキュメンタリータッチ。次は史実に近いもの。もしも、の世界は作品次第かな、
時代物はA級作品で時代考証がしっかりしているものがいい。
私の場合の感情移入とは、主人公などの登場人物になりきれるということ。登場人物の考え方や視点を、自分のものとすることができるということ。映像の中にいる人物の思考・視点で映像を体験できるということ。
第三者的に、つまり登場人物ではなく劇場で劇を見ている観客の視点で作品を見ることは、私にとって感情移入ではない。作者視点で登場人物を動かすのも、純粋な感情移入ではない。ただ後者は前者よりは作品に入り込める。作者・スタッフ目線の準感情移入である。
まったく感情移入ができないものは、二度と見る気は起こらない。もしくは見ることを中止する。好き嫌いの範疇で言えば、見ようとしたことを反省するほど嫌いということ。
対して、素直にすっと感情移入でき、なおかつ私の好奇心をくすぐるか、好みの対象を取り扱っているものは
私の中で 評価が高い。
素直に感情移入できるのは、現実の私がさほど違和感を感じないで存在できる空間である。
現実空間という設定、歴史物なら史実通りと思われる設定、空想ものなら現在空間との違いの理由を納得させてくれる設定、などで、感情移入しているときはその設定を「設定」ではなく現実と認識できること。
感情移入しにくいものは、仮想・空想・妄想度が高く現実離れしており、どのような理由で現実離れしたかの納得できる説明がないもの。つまり設定があまりにも個性的で、思考方法が独善的に過ぎるもの。
だって感情移入って追体験または同時体験だよ。現実離れした追体験は私には難しい。
だから、日本の怪談のように心理的恐怖を描き、幽霊が現れるにせよそれを見る者の心が見せているというような作品は現実的だが、外国の怪談のようにモンスターが現れたら現実離れしているとしか思えなくなる。
では、おとぎ話のような設定のみの完全フィクションはどうかというと、ユングの集団的無意識の存在は面白いとは思うが信じてはいないのだが、その集団的無意識を感じさせる話は、おとぎ話として嫌いではない。現実話ほどは感情移入しにくいだけだ。
集団的無意識にも、北欧神話、ギリシャ・ローマ神話にも、日本神話その他の古い神話にも抵触しないものは感情移入は難しいかもしれない。
また、実写でもアニメでも、いかにもドラマな設定・展開は、現実感を喪失し、感情移入しにくくなる。
でも要は好き嫌いだろって話もある。
ニュースにしても、その場面を映すカメラマンの技量と嗜好により、映し出される映像が異なってくる。私は自分の目で見て自分の頭で考える経験論主義者であるから、他人の目で見ている画像は、同じものを見た場合自分にはどう見えるか、を抜きにしては見られない。同時に、何を見たいかをも考える。スポーツ映像など、俯瞰・ズームと、自分の目ではできない動きで、ほぼ自分の嗜好に合った画面を映し出してくれているようにも見える。しかし、事実は主ディレクターの指示で切り替えられる画面を、つまりは主ディレクターの嗜好を、さも己の嗜好であるかのように取り違えているだけなのだ。
自分の目で見なければ事実は見えない、自分の頭で考えなければ真実はわからない。では、遠い異国で起こった出来事の真実を知ることはできないか?報道画面も恣意性があるので事実とは言い切れないとしたら。
事実を見なくても真実はつかめる。これは合理論、演繹法だ。私の経験論、帰納法では、あり得ない。しかし実際、私は、自分の目で見ていない事件でも、真実をつかんでいるつもりだ。なぜか。
それは実は客観的絶対的真実ではなく、主観的暫定的真実にしかすぎないもので、あとから新事実が見つかれば簡単に覆るものであるにもかかわらず、それで良いと己自身で受容しているものだからである。むしろ、客観的絶対的真実は、私にとっては、唯一絶対神と同じで、真実とは思えないのだ。
現実を見ながら、真実がわからない人は多い。なぜか。自分の頭で考えないからである。フィクションを見ながら真実を知ることはできる。どうするのか。自分の頭で考えればよい。
私は真実を見たい。
人間の感情を含めた興味あることに関する情報の量の多寡。
ふだん自分が考えていることや興味があることなどに触れている作品を好むのは人間当たり前。
ではぐっちーはどんなことを考えどんなことに興味があるのだろう。
人間
① 人間はなぜ生まれたのか
② 人間はどう進化しようとしているのか
③ 1次元から4次元まで空間または時空間は拡大してきた、この上の次元はどう拡大するのか、拡大しないとすればどういう概念で上の次元と呼ぶのか
④ 脳を離れた自己や心は存在するのか(脳が有機質でも無機質でもよい、思考の容器としての存在という意味)
人間の進化予測(概略)
この私の進化予測の各時点に該当すると思う作品がかなり多い。進化予測そのものは、愚考録で概略ではなく、つれづれなるままに考察を続けるつもり。
DNAによる進化はあまり期待しない!人工的組み替えについては判断を保留する。
ただ地球進化の過程において、人間のみが手に入れた知性、これをどう進化させるかは人間の責任である。
〈初期電脳化〉
① 脳を除く肉体各部分の人工部品がほぼ完成する。
② 各人工部位の動作神経を電気信号で操作可能になる。
③ 脳神経から痛覚または痛点への神経のみの遮断を行うことに成功。
④ 脳神経が機械・もしくは電子脳に接続可能になる。
〈電脳化〉
⑤ 脳の各機能を人工部位すなわち機械に移行することが可能となる。
個人の人格あるいは精神とは、記憶の集合体と思考時の優先順位あるいは優先順位入れ替えの癖、によるものにすぎないとしても、生物としてのまたは有機体としての肉体を離れることが可能となるとき、どのような変容を見せるのだろう?また、電脳化の当然の結果として複製可能となった人格の同一性はどう維持すべきなのか?
〈前期電脳化時代〉
⑥ 脳・肉体が有機物であるかどうかを問わず、各部位の随時交換が可能となる。無機物で作られた部位専用のメンテナンス施設もできる。
⑦ 必要に応じて、一部の記憶などの並列化も行われるようになる。
⑧ 記憶の連続性・思考の癖など「人格」に相当する特徴がある思念体のそれは、元々が有機体であるか無機物であるかを問わす゛、人格あるものとして認められる。
〈中期電脳時代〉
生物としての人間とは何だったのか?また複製や再生が可能となった人間に生物としての意識は残るのか?進化の途上、同一体からの細胞分裂ではなく、わざわざ別個体との接触による受精という過程を経て、ようやく進化しやすくなったDNAを捨て去るのか。またDNAは既に数値化されておりそのデータを継承していけばそれで種の保存としては足りるのか?
⑨ 有機物としての肉体から精神を切り離して、なおかつ精神的に健全な個の維持ができているとする。ただ健全の意味は有機物と無機物では異なるだろうが、物欲などは不必要になっているだろうからそういったものに関する戦争・紛争は生じないだろう。自分以外の存在そのものや思想そのものを完全に消しさりたいという思想さえ生じなければ争いの原因はない。この時点で精神の健全さを維持するためには各個の存在理由を確立しておかねばならないだろうから、哲学する電脳の時代とも言えるだろう。
⑩ 脳以外の四肢その他の部位は、それぞれの必要に応じ様々に変化しているだろう。脳以外は必要としない者もいるだろう。
⑪ 脳本体から空間的に離れた場所にある部位あるいは物体を、脳からの信号(アンプのようなものを経由するかもしれない)(これを脳波と呼ぶか念波と呼ぶか単なる電気信号として特に名付けないかはお任せする)により動かす技術の確立。
〈後期電脳時代〉
いよいよ物質から精神を解き放つ。
⑫ 個としてのまとまりのある信号波の波としての維持・保存方法の確立。つまり電子脳などの物質内部で思考・記憶するのではなく、一定空間または空間を波として移動しながらの思考・記憶。
〈初期思念体〉
⑬ 前段階で思念は物質を離れた。もはやこの段階では個別の四肢やその他の肉体部位は不必要だろう。
また電子脳も同じく不必要となる。思念体と書いたが「物体」ではなく「ある一定の思考法と記憶を持つ概念としてひとかたまりの思念」のことである。
⑭ 思念の信号波で動くように作られたもの以外でも、だんだんと動かせるようになる。無機質から有機質、植物そして最終的には動物まで。
⑮ 他の知的生命体と接するためのインターフェースも活用しているかもしれない(例、モノリス、ナガトユキ)
〈中期思念体〉
⑯ 個である必要性を感じなくなった思念体は統合され始める。しかし独特の癖のある思考法などは個別に記憶保存されていく。進化の途次、わざわざ異性体を設け自己を磨き争い協力したように、わざわざ遺伝子をXとYに分けたように、対立・競争する好敵手がなければ進化・発展・向上はない。
唯一絶対なるものを手に入れたとすれば、それが思考停止であり思念体としての終焉である。
⑰ もはや地球とか太陽系とかに思念を留めておく必要はないので、宇宙に偏在したり遍在したりするようになるかもしれない。数十億年後の太陽の滅亡あるいはそれ以前におきる地球上の生命の消滅もこれで乗り切ることができる。
〈思念体最終形〉
⑱ 素粒子あるいは素粒子を構成するエネルギーもまた波であるのなら、その波を作っているであろうもの(ヒモかもしれない)を動かし、空間に物質を生じさせることができるようになる。
⑲ 時間を移動できるようになる。
⑳ 世界を創造する。
現宇宙の消滅までに宇宙を作らなければならない。現宇宙は進化がたどってはならない道をたどりつつある。引力の法則により各銀河は近づきつつあるのだ。
ふれあった銀河は融合しやがて一つになるが、中心部付近のブラックホールもまた一つになっていく。やがて全質量の陥落と共に特異点が生じるのだ。
特異点では時間・空間・保存原則・引力・素粒子の力などすべての物理非物理原則は消え去り、すべてが集中しやがて爆発的に拡散する。
つまりビックバンへの道を逆行している。拡大が収束へとつながっているのが現宇宙だと思う。そしてたぶん拡大・収束はくりかえされる。
小説やアニメを書くに当たって、まず書きたい場面から作り始める人、全体のあらすじからはじめる人、どんな作品という概念・コンセプトからはじめる人、といろいろいるだろう。作品を見る側としては、作者がいったい何を書きたかったのか、何を伝えようとしているのか、なぜこれを創ったのかを考えるとき、どのように作り始めたのかと想像することもまた楽しい。
作品の概念を掴むには、様々な歴史、神話(日本・ギリシャ・北欧など),社会問題、マイノリティについて、現代の知識(量子力学・DNA・現在考古学・宇宙論・WEB諸問題など)などを知っておいたほうが楽しいことは言を俟たないが、新世紀エヴァンゲリオン(特にテレビシリーズ)など広範囲に哲学・思想を取り入れた作品も増えてきた。
とりあえず概念だけでも知っておきたい思想家として次の人々をあげよう。
ギリシャの自然哲学者達 / ブロタゴラス ソフィスト代表 人間は万物の尺度 / ソクラテス 無知の知 / プラトン イデア論 / アリストテレス 経験と観察 万学の祖 / エピクロス 快楽主義 / ゼノン 禁欲主義/ イエス 愛 / パウロ 信仰 / トマス・アクィナス / 釈迦 縁起、中道 / 六師外道他印度諸古哲/ 大乗仏教 悟から信へと変化 / 龍樹 空/ 世親 唯識 / 孔子 仁と礼 / 孟子 性善説 浩然の気 / 荀子 性悪説 礼治主義 / 墨子、孫子他諸子百家 / 朱子学 理気二元論 / 陽明学 心即理 / 老子 道(タオ) / 荘子 一切斉同 / 聖徳太子 三宝 / 最澄 国宝 / 空海 身口意 / 空也 口称念仏 / 源信 往生要集 / 法然 専修念仏 / 親鸞 絶対他力 /道元 只管打坐 修証一等 / 日蓮 題目 / 林羅山 上下定分の理 / 中江藤樹 孝 / 山鹿素行 士道 / 伊藤仁斎 仁愛と誠 / 荻生徂徠 先王の道 / 石田梅岩 知足安分 / 安藤昌益 万人直耕 / 本居宣長 もののあはれ / 二宮尊徳 報徳仕法 / 佐久間象山 東洋道徳・西洋芸術 / 吉田松陰 一君万民論 飛耳長目 草莽崛起 / 福沢諭吉 学問のすすめ 天賦人権 独立自尊 / 中江兆民 アジアの片隅にヨーロッパの国をつくる / 植木枝盛 国民主権 / 内村鑑三 無教会主義 二つのJ / 夏目漱石 則天去私 / 西田幾多郎 真の自我 善の実現 / 鈴木大拙 霊性の自覚 即非の論理 / 幸徳秋水 無政府主義 / 柳田国男 遠野物語 民俗学 / 与謝野晶子 みだれ髪 / 平塚らいてう 元始、女性は太陽であった / 和辻哲郎 間柄的存在/ 丸山眞男 戦後民主主義 / 加藤周一 雑種の文化 / ルター 宗教改革 信仰義認 / カルヴァン 予定説 / ピコ・デラ・ミランドラ 人間の尊厳(序列) / モンテーニュ 随想録 クセジュ / パスカル 考える葦 / フランシス・ベーコン 知識は力なり 帰納法 経験論 / デカルト コギトエルゴスム 我思う故に我あり 合理論 演繹法 / ホッブズ 万人の万人に対する戦い リヴァイアサン / ジョン・ロック 社会契約説 必要悪の政府 / ルソー 一般意思 自然に帰れ / カント ドイツ観念論 経験論と合理論の批判的統合 対象が認識に従う / ヘーゲル 弁証法 止揚 絶対精神 理性の狡知 / ショーペンハウエル 厭世主義 盲目的意志 / アダムスミス 神の見えざる手 / ベンサム 功利主義 快楽の量 最大多数の最大幸福 / ジョン・スチュアート・ミル 功利主義(改) 不満足なソクラテス 量よりも質 / パース 実用主義 / ウィリアム・ジェームズ 有用主義 / デューイ 道具主義 / オーギュスト・コント 社会発展段階説 実証主義 / マルクス 共産主義 / キルケゴール 死に至る病 美的実存 倫理的実存 宗教的実存 / ニーチェ 神は死んだ 超人思想 / ヤスパース 限界状況 実存的交わり / ハイデガー 決断 死への存在 / サルトル 実存は本質に先立つ 自由の刑 自己拘束 アンガージュマン / フロイト 無意識 リビドー(性的欲動) デストルドー / ユング 集合的無意識 元型 / アドラー 課題の分離 嫌われる勇気 共同体感覚 / ソシュール 思考は言語で規定される 言語は対象を表さない / ウィトゲンシュタイン 語りうるもの 分析哲学 / ホルクハイマー アドルノ 批判的理性の復活 / エーリッヒ フロム 自由からの逃走 / ハーバーマス 対話的理性 / レヴィ=ストロース 野生の思考 / フーコー 監獄理論 画一から分散へ / シュヴァイツアー 生命への畏敬 / ガンディー / ルース・ベネディクト 恥の文化 / マザーテレサ 愛 / ロールズ 公正としての正義 / アマルティア・セン 多種多様な生き方 機能 潜在能力